K国の”米国だけの認識論”へ反発した英国・オーストラリアが衝撃的な証拠を発表し隣国が絶望へ

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戦後、日本の独立と領土が決まった「サンフランシスコ平和条約」で、米国に加えて英国とオーストラリアも竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島(トクト))を日本領と認識していたことが両国の公文書などで明らかになった。

歴史的主張の根拠が玉砕へ!韓国の竹島領土論に終止符へ。K国の”米国だけの認識論”へ反発した英国・オーストラリアが衝撃的な証拠を発表し隣国が絶望へ

歴史的主張の根拠が玉砕へ!韓国の竹島領土論に終止符へ。K国の”米国だけの認識論”へ反発した英国・オーストラリアが衝撃的な証拠を発表し隣国が絶望へ

戦後、日本の独立と領土が決まった「サンフランシスコ平和条約」で、米国に加えて英国とオーストラリアも竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島(トクト))を日本領と認識していたことが両国の公文書などで明らかになった。政府は条約調印70年を記念して1月28日から東京・霞が関の領土・主権展示館で複写の展示を始め、近くネットでも公開する。条約では日本が放棄すべき地域を「済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮」と明記。

これに対して韓国は3島だけでなく「独島も含まれると解釈し、領有権を主張している。政府の委託事業で見つかった新たな資料は、条約の作成過程で、英国が竹島を日本領とする米国案に同意したことをオランダ代表との会合で示した公文書(1951年5月)や、オーストラリア外務省が釜山駐在の外交官に宛てた電報(同年7月)など。電報では韓国側がオーストラリアに対し、条約で日本が放棄すべき地域に「独島」を入れるよう要請する際に不正確な位置を伝えたため、韓国の主張を評価できなかったことを示す内容という。

これまで、米国が竹島を日本領と認識する複数の資料が存在していたが、韓国側は「米国のみの見解で条約を結んだ連合国の総意ではない」と主張。今回の発見は韓国の主張を覆すものとなりそうだ。展示を企画した内閣官房領土・主権対策企画調整室の斎藤康平企画官は「条約の交渉過程で竹島の領有権について、日本の立場の正しさをより客観的に説明する史料が確認された」と話した。

企画展は2月5日まで。韓国の主張が根底から覆る公文書米国のみの見解で総意ではない?英国女王に納める地図帳にも当時からの無法ぶりが証明山陰中央新報の報道によりますと、山陰中央新報の報道によりますと、戦後、日本の独立と領土が決まった「サンフランシスコ平和条約」では、米国に加えて英国とオーストラリアも、竹島(島根県隠岐の島町)を日本領と認識していたことが、両国の公文書などで明らかになりました。

サンフランシスコ平和条約では、日本が放棄すべき地域を、「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と明記しています。これに対して、韓国は3島だけでなく「独島も含まれる」と韓国式に解釈し、領有権を主張しているのです。政府の委託事業で見つかった新たな資料は、条約の作成過程で、英国が竹島を日本領とする米国案に同意したことを、オランダ代表との会合で示した公文書(1951年5月)や、オーストラリア外務省が釜山駐在の外交官に宛てた電報(同年7月)などです。

この電報は、韓国側がオーストラリアに対し、条約で日本が放棄すべき地域に「独島」を入れるよう要請する際に「間違った位置を伝えたため」、韓国の主張を評価できなかったことを示す内容とのことです。これまで、米国が竹島を日本領と認識する、複数の資料が発見されていますが、韓国側は「米国のみの見解であり、条約を結んだ連合国の総意ではない」と主張しています。

しかし、今回の発見は、韓国のこの主張を覆すものとなるでしょう。展示を企画した内閣官房領土・主権対策企画調整室の斎藤康平企画官は、「条約の交渉過程で竹島の領有権について、日本の立場の正しさをより客観的に説明する史料が確認された」と話しました。政府は条約調印70年を記念して、1月28日から東京・霞が関の領土・主権展示館で複写の展示を始め、近くネットでも公開するそうです。

領土•主權展示館東京都千代田区霞が関3-8-1虎の門三井ビルディング1階この企画展は、2月5日まで開かれています。この企画展は、2月5日まで開かれています。これだけではなく、19世紀の英地図も竹島を日本領としていますが、この地図は女王に捧げる高い精度を持っているそうです。英国のビクトリア女王(1819~1901年)に献上する旨が記載された、権威ある世界地図帳に収められた1枚です。

これは島根大の船杉准教授(歴史地理学)の調査で分かったのですが、英国の地理学者、アレクサンダー・キース・ジョンストンが作製した地図帳「現代地理のロイヤルアトラス」です。この地図帳は、1855年が初版とみられるが、松杉准教授は神奈川県の古書店で81年版を入手し、調査したとのことです。それによると、全51枚のうち、「中国と日本」の地図1枚に、竹島は描かれていました。

地図で竹島は、「リアンクール」(竹島のフランス語名)、「ホーネット島」(同英語名)と表記されていました。さらに「九州と同じ緑色に塗られて」おり、茶色の朝鮮とは明確に区別されていました。また、竹島を日本領とするこの地図は、米国議会図書館のホームページに掲載されていることも確認したそうです。さらには、1970年代以降になって中国が自国領との主張を始めた日本固有の領土、尖閣諸島(沖縄県石垣市)についても、ジョンストンの地図は、沖縄県と同じ黄色に配色し、日本領としています。

尖閣諸島は、明治政府がどの国の支配も及んでいないことを確認した上で、日清戦争中の1895年1月、沖縄県への編入を閣議決定したものです。今回確認された英国の地図は、日清戦争(1894年~95年)より前に製作された地図であり、中国側の「日本が日清戦争を通じて尖閣諸島をかすめ取った」とする主張を覆す資料にもなるでしょう。竹島は日本海の南西部にある、竹島は日本海の南西部にある、島根県隠岐郡隠岐の島町の小さな島です。

もともと日本領であり、人の住みにくい環境であることから無人島でした。最初に実効的支配をおこなった国は日本で、江戸時代の竹島は、江戸幕府公認の下で鬱陵島に渡る際の航行の目標や停泊地として利用されていました。寛文5年以降は、幕府の許可を得てアワビなどの好漁場としても活用していたのです。ところが、1952年韓国の李承晩大統領は、「公海上に」無法な李承晩ラインを設定し、竹島を韓国領として韓国側水域に含めました。

それだけではなく、韓国は丸腰の日本漁船を銃撃し、数十名の日本人漁師を虐殺しています。拿捕された日本の漁船は328隻、抑留された船員は3929人で、満足な食事もあたえられず、悲惨な抑留生活を送ったそうです。暴虐という言葉は、このようなことのためにあるのでしょう。これらの行為を、1960年駐日米国大使ダグラス・マッカーサー2世は、国務省への機密電文の中で、「国際的な品行や道徳等の基本原理を無視した、実力行使の海賊行為である。日本人は李承晩の占領主義的手法で苦しんでいる」韓国は、この頃から無法の国だったのですね。

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