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秋篠宮殿下と寛仁親王の口ヒゲ。 眞子さま結婚問題、皇位継承問題などで何かと話題になる秋篠宮家。そんな秋篠宮家の当主・秋篠宮殿下のトレードマークともなっている「口ヒゲ」。 この「口ヒゲ」は戦国時代には多く人が伸ばしていたが、江戸時代になると「野蛮だ」ということで禁止になった(四代将軍・徳川家綱による大髭禁止令)。そのため、現代においても口髭を伸ばしたままであることは社会人として減点される場合がある。 明治天皇、大正天皇、昭和天皇の三代は口髭を生やしていた。これは、天皇が軍人であったためだ。文人であることが求められるようになった戦後は、ほとんどの皇族は髭を剃っている。

ゆえに戦後皇室において「あえてヒゲを伸ばす」ことは、自己主張の顕れだ。 「ヒゲの殿下」の愛称で知られる三笠宮寛仁親王(1946-2012)が、破天荒なヤンチャ者であったことは良く知られる。そして現代の「ヒゲの殿下」候補である秋篠宮殿下も、若かりし頃はヒゲのみならず、外車にサングラスにタイ旅行とヤンチャ者として名をはせていた。 この二人には驚くほどの共通点がある。今回はそんな困らせエピソードを紹介したい。 寛仁親王の皇籍離脱騒動。 二人に共通するエピソードは、口ヒゲだけではない。秋篠宮殿下も寛仁親王も共に「皇籍離脱」を希望した経験があることだ。 いまだ昭和天皇の喪が明けないうちから、秋篠宮殿下は「キコと結婚したい」と強い希望を宮内庁に打診した。宮内庁は喪が明けてから皇室会議にかけることを提案したが、秋篠宮殿下は「今すぐ結婚できないなら皇室を離れて、イギリスでキコと暮らします」云々と主張。宮内庁は仰天して泡を吹いたが、なんと平成の両陛下が喪中に縁談を進めることを了承。 結果的に、皇室会議での結婚承諾は喪中に、“納采の儀”(結納)は喪が明けてからという妥協点を見出すことになった。これが秋篠宮殿下の「皇籍離脱騒動」だが、当時の関係各位の証言は未だ刊行されていない。

一方の寛仁親王の皇籍離脱騒動は、昭和57(1982)年4月に起きた。それまで「ヒゲの殿下」などと親しまれた寛仁親王が「身障者問題など社会活動に専念したい」との理由から、皇籍離脱、つまり、皇室を離れて民間人になりたいという希望を宮内庁に申し出たのだ。こちらの騒動は、当人も亡くなり時間が経過していることから比較的多くの資料から証言を得ることができる。 当時侍従だった入江相政(1905-1985)の日記を読むと「〔寛仁殿下は〕手がつけられない」(昭和57年4月24日)とか「岸田君、大竹君来室。いづれも寛さんのこと。あきれてゐる」(昭和57年4月26日)などと、宮内庁の慌てふためきぶりと呆れ具合がよく伝わってくる。 寛仁親王を思いとどまらせた昭和天皇の肉声。 なお寛仁親王の仰天騒動を収束させ、皇籍離脱を思いとどまらせたのは、ほかならぬ昭和天皇であった。昭和天皇は同年9月7日の宮内記者会見において「国民の皇室に対する期待が、どのようなものなのかを十分に把握して、その期待に沿うように努力するように望む」と述べたが、この一言が決め手となったようだ。 当時の侍従たちの日記を読むと、昭和天皇はずいぶん寛仁親王の騒動のことを気にされていたようだ。たとえば小林忍侍従(1923-2006)は次のように記録している。 1982(昭和57)年5月9日。 葉山から三笠宮寛仁さんのことで御心痛の御様子で、今朝も靴下をおはきになりながら、しばらく考えごとでじっとなさっていたり、お食事中もお手をしばらく動かさなかったりなど考えごとが多いように見受けられたとのこと。

その後、寛仁親王は、対談録『皇族の公と私』(PHP研究所)のなかで「やはり昭和天皇は、古めかしい言葉ですが、上御一人(かみごいちにん)と申し上げるしかありません」と工藤美代子(元つくる会副会長)に語っている。それだけ寛仁親王にとって昭和天皇は偉大な存在だったのだ。 秋篠宮殿下の口ひげ騒動。 さて、お二人のもう一つの共通点「口ひげ」に戻ろう。秋篠宮殿下が口ひげを伸ばそうと決意したのは20歳の頃だ。ナマズに憧れがあったとも言われているが、自由奔放に生きる寛仁親王に共感して伸ばされたというのが真相のようだ。 だが秋篠宮殿下の「口ひげ」に周囲は反対していたようだ。他ならぬ侍従たちの日記に残されている。 1985(昭和60)年12月23日(月曜):田中[総務課報道]専門官・佐藤補佐も、礼宮さんのヒゲ願望につき長官に相談 否定的。 1985(昭和60)年12月24日(火曜):手塚東宮侍従[(事務主管)]に礼宮さんのおヒゲのことにつき善処方申入れ、理髪 石井[幸家」さんに侍従を通してやるように。 まさか宮内庁長官(富田朝彦氏)にまで相談が上っていたとは驚きだが、この数年前に寛仁親王の「皇籍離脱騒動」があったことを踏まえれば、「まさか礼宮(秋篠宮殿下)も寛仁親王のように…」と戦慄が走ったことは想像に難くない。

お二人の交際が公になってから、キコさまご実家(川嶋家)に押し寄せるメディア陣に対し「礼宮さまのおヒゲは、お似合いになるとおっしゃる方もいますし、まだ早いとおっしゃる方もいます……」とキコさまは答えている。宮内庁内では口髭を警戒する人が多かったことは事実のようだ。だが元宮内庁職員の小内誠一さんは次のように語る。 「たしかに秋篠宮殿下は寛仁殿下に憧れて“ちょいワル”を目指していた時期はあったように思います。あの髭も寛仁殿下に憧れてしたものだと聞いています。ですが、秋篠宮殿下が寛仁殿下のように、不注意な発言や行動を堂々とすることは今後は無いでしょう。 なにより、お二人の立場は全く異なります。

寛仁親王が皇位継承する可能性は殆どなかったのに対し、秋篠宮殿下は皇位継承順一位です。そのお立場の重さを自覚されてから、秋篠宮殿下は、若いころのようなヤンチャは少なくなったように思います。もっとも口髭の評判は、平成を通してそれほど芳しいものではないのですが」。 「人を外見で判断してはならない」と賢人は言う。だがオスカー・ワイルド(1854-1900)は「外見で人を判断しないのは愚か者である」(It is only shallow people who do not judge by appearance, The Picture of Dorian Gray, 1890)と言葉を残した。はたして秋篠宮殿下の口髭はどのように評価されるのであろうか?

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