瑤子さま

秋篠宮家「恥ずかしくて生きてられない」… 瑤子さま「高貴な義務」と、三笠宮家の「ガチ自衛隊公務」

こんにちは。今回のテーマは ?秋篠宮家の「恥さらし」が国際問題に 瑤子さま「高貴な義務」と、三笠宮家の「ガチ自衛隊公務」 瑤子さまのミャンマーご訪問 秋の深まりを徐々に感じる季節になってきた。新型コロナによる混乱も落ち着きつつあり、皇室にも日常が戻りつつあり、皇族方の公務も徐々に再開されている。眞子さまは9月16日午後、「日本伝統工芸展」授賞式に臨席された。また佳子さまも27日には、「第7回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」を宮邸でご視聴されるという。 「公務といえば秋篠宮家」というイメージが強い。だがさる宮内庁幹部は「秋篠宮家は国の恥だ。海外公務を控え、他の宮家を見習ってほしい」と眉間にしわを寄せる。なぜか? 今回は三笠宮家がどのように公務に取り組んできたのかを見てゆきたい。 2019年12月11日から17日まで7日間の日程で三笠宮家の瑤子殿下がミャンマーを訪問された。 訪問では日本人墓地・戦没者の追悼やビルマ平和記念碑への拝礼、仏教寺院参拝などが行われた。日本の皇族がミャンマーで戦没者の慰霊を行うのは史上初めてだ。他にも日本人学校関係者との面会など、公的行事が目白押しだが、渡航の費用は瑤子殿下の私費で賄われる「私的旅行」という形になっていた。 宮内庁によると、天皇陛下の「即位礼正殿の儀」が行われた10月22日の夜、外国賓客を招いて開かれた「饗宴の儀」の後席で、瑶子さまがスーチー氏と会話する機会があり、スーチー氏から「ぜひともお訪ねいただけないか」との申し出があったことが今回の私的旅行のきっかけだそうだ。 戦没者慰霊碑への拝礼では、父親の寛仁親王と共に拝礼するという気持ちを示すため、寛仁親王の帽子と羽飾りを身につけ、慰霊碑に花輪をたむけ、拝礼された。 瑤子殿下の父上の寛仁親王は、歯に衣着せぬ物言いとその率直なキャラクターで昭和、平成初期の皇室のスポークスマンとしてご活躍された皇族である。 今回は、戦後の皇室があえて避けてきた「ある問題」に寛仁親王をはじめ、三笠宮家がどう寄り添い、励ましたかを紹介したい。 戦後のタブー、皇室と自衛隊 戦後の皇室が避けてきた「ある問題」、それは国防と自衛隊である。 旧憲法下では天皇は軍隊の最高司令官であり、男性皇族はみな軍務に就くことが決められていたが、敗戦で天皇の軍隊が解体し、憲法で「軍隊」と明記されない自衛隊が発足した。 かつての宮中席次では、陸・海軍大将は衆議院議長よりも上だったが、戦後は幕僚長でもただの一公務員となり、国の守りを担う自衛官は日陰者として扱われ、目立たずただ粛々と働いてきた。自衛隊の法的な曖昧さと「軍国主義」への反省から、海外王室では当然のように王族が軍服を正装として着用とするのとは正反対に、日本では自衛隊に、元首ではない「象徴」となった皇室が関わるのはある種のタブーだった。 今でこそ国民の自衛隊への理解は向上しているが、昭和の時代には「軍隊ではない」という立場にありながらも、左翼側からは「軍国主義の残滓」と罵られた時代が長かったらしい。 「ずっと日陰者だった自衛隊に、寄り添ってくださったのが秋篠宮家のを除く皇室。とくに三笠宮家だったのです」と自衛隊関係者が筆者に語った。 . . ....