紀子さま

雅子さまが「適応障害」の事実。雅子さまがご病気に倒れてから、一年近くも治療が行われなかったことは事実だ。全くの新情報です。是非ご覧ください!

12月9日は雅子さまのお誕生日だ。この日に合わせて宮内庁は、雅子様の“お言葉”に加え、医師団の見解をホームページ上で公表した。雅子さまは「今年は、特に命の大切さ、尊さについて改めて深く思いを寄せる年になりました」という美しい一文と共に、コロナ禍に苦しむ国難に心を寄せられた。 その文章中では紀子さまのような「COVID-19」という聞きなれない言葉ではなく、「新型コロナウイルス」という解りやすい言葉を選ばれたことに、国民に寄り添おうとする優しき真心を感じられた。コロナ禍で緊急事態宣言が出されていた折、秋篠宮家は総出で500枚の医療用ガウンをつくり済生会病院に寄贈されたことは記憶に新しい。 皇嗣職の知人に聞いたところによれば、済生会病院の担当とミーティングされた際に紀子さまは「新型コロナ“ウイルス”ではなく、新型コロナーバイラス”ですよね?ほかの単語は英語読みなのに、この単語だけドイツ語読みというのはチグハグです。国際正式名称のCOVID-19か、SARS-CoV-2を用いるべきでしょう」と持ち前の英語力と知識力を披露して、周囲仰天させていたという。 単語ひとつの使い方によっても雅子さまと紀子さまの「違い」が現れてしまうのは、本当に国民に寄り添う気持ちがあるのかどうかが現れた瞬間でもある。 1。医師団の見解と、雅子さまが倒れた日 令和となり雅子さまを拝見する機会は圧倒的に増えた。公務や祭祀にも積極的に出席され、立皇嗣の礼(11月8日)では、17年ぶりとなる肉声が国民の前に届けられた。 いよいよ全快・寛解も近いのか そう思っていたのだが、12月9日の誕生日にあわせて発表された医師団の見解によれば「ご治療にあたらせていただいている医師団としても、ご自信につながる望ましいことと考えております」とポジティブな見解を前置きしつつも「皇后陛下には、依然としてご快復の途上にあり、ご体調には波がおありです」と慎重姿勢を崩さなかった。 思えば雅子さまほど苦しまれた皇后は歴史上かつてない。雅子さまが「適応障害」と診察されたのは2004年6月のこと。そのきっかけは、2004年5月10日に皇太子殿下(現、天皇)が「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言し、ようやく宮内庁が動き出したのだ。雅子さまのご病気の症状は、発表される1年近く前から現れていた。 医師団の見解によれば「2003年に子育てとご公務の忙しさからご病気になった」とのことである。大野裕慶応大学教授が主治医についたのは翌年の6月。雅子さまがご病気に倒れてから、一年近くも治療が行われなかったことは事実だ。一年ちかくほっておかれた雅子さま。傍でそれを見守るしかなかった皇太子殿下の想いはいかばか りだろか? 友納尚子さんの著書『雅子妃 悲運と中傷の中で』文藝春秋(2008)のなかに、当時の声としてライデン大学の歴史学者・ツ・ヴェルデ教授は、雅子さまと同じく心の病に苦しんだクラウス会の場合を次のように比較している。「信じられません。クラウス公の場合、早期治療が大切だったため、ベアトリクス女王がとても力を注いだ。日本の宮内庁は体裁にとらわれすぎて治療が遅れたのでは」(ライデン大学歴史学のツヴェルデ教授) 「プリンセス・マサコは病気であるのに彼女の周囲は今でも本人を変えさせようとしているようだそれがいかに負担になっているかということに気がついていない。クラウス公が病気のときには、彼が王室で最適に機能するために、周りもまた合わせていったことが回復に繋がったのです」(ハン・ファン・ブレーさん) 雅子さまが軽井沢の実家別荘で過ごせば、メディアがそれをこぞって叩いていた。『週刊女性』の記者だった松崎俊彌さんは次のように雅子さまを評価している。“松崎俊彌(「週刊女性」記者、皇室ジャーナリスト) そこに昨年暮れからの雅子妃の私的外出の報道が重なります。 中略...元日の祝賀行事のほとんどを欠席した雅子妃が、小和田家と東宮御所でおせち料理を囲んだ、といった記事が週刊誌などで毎週のように報じられました。両陛下とのお祝い御膳が一月二日でしたから、それよりも小和田家を優先するのか、と非難する声も上がっていますね。 3。心の病と、美智子さまの想い 雅子さまの「適応障害」の治療が遅れてしまった理由には、1嫁が実家で療養することを良しとしない旧来的な価値観、①精神的な病は遺伝するとの価値観から腫物のようにこれを扱ってしまったという二つがあると思う。 ②についてだが、お妃候補の選定をする際には「色盲、近視などを含め遺伝性の病気がなく、不妊症でないこと」などいくつか条件がある(小田桐誠『消えたお妃候補たちはいま』ベストセラーズ2019)。岩田仲生さん(藤田医科大学)は「精神的ご病気の発症は遺伝的要因がある」と述べている通り(藤田医科大学HP)、心の病は「親から遺伝する」という価値観は根強く残っている。...

宮内庁が動いた! 破談決定 ?! 紀子さま悲鳴の嵐

河野発言に怒り心頭のキコさま 多くの国民から好意的に受け取られた河野太郎の発言であるが、こうした河野氏の発言に対して皇嗣妃であるキコさまは大変憤慨されているという。 「現在、秋篠宮家は皇位継承資格を持つ男性皇族がお二方おられる皇嗣家となっておりますが、河野氏の“現皇室で男系を維持していくには、かなりのリスクがある”という発言は、言い換えるならば“秋篠宮家への皇位の移譲に固執することは大きなリスクだ”ということになります。このことは皇嗣妃であるキコさまにとって大変不愉快な発言であったようで、この発言を知られた後には河野氏に関して“伝統の重みや価値を理解しない政治家風情”と厳しいお言葉を口にされたそうです。 キコさまは、将来悠仁さまに皇位を継承させることを何よりも最優先に考えておられるようですから、もしかするとこうした河野氏も発言もご自身に対する批判であると受け取られたのかもしれません。“悠仁さまこそ将来の天皇に相応しい”最近では、こうした考えに異論を挟む者に対しては、容赦ない批判を浴びせられているそうです」(宮内庁関係者) 宮内庁の方針に不服のキコさま 皇室内の序列として、皇太子扱いの秋篠宮殿下が皇后雅子さまの次に位置する。今回の「新年祝賀の儀」もそうした序列に則って、決定されたようですが、どうやら、キコさまなどは、それでも納得されなかったそうです。 ある宮内庁関係者は、今回の入場の順序を決定する際に発生したトラブルについて次のように語ってくれました。「現在、皇太子の地位が空位ということもあり、宮内庁は、皇室内の序列の設定に大変苦慮しているようです。もともと、上皇陛下が退位される際に開催されていた有識者会議では、今上陛下の即位後に秋篠宮殿下の称号を皇太子とする案が有力でした。 2017年3月のヒアリングでは、“皇室典範を改正しなくても、秋篠宮さまを皇太子とすることが可能だ”との発言があり、加えて4月4日の会議においても委員から“歴史上は次期皇位継承者は兄弟でも皇太子と称されることが大半だった”との意見が出されていたのですね。 宮内庁でも、こうした有識者会議での案に沿って、秋篠宮殿下を皇太子とする方針を固めようとしていたのですが、殿下は、皇太子という称号を受けることに難色を示され、結局、皇嗣という称号を得られたのです。こうした敬意もあって、宮内庁内では、殿下は、実質的に皇太子扱いがなされているようですね。今回の宮殿への入場順もそうした方針に則って決定されたようです」(宮内庁関係者) ですが、こうした順位に不服を示されたのが「新年祝賀の儀」を欠席されたキコさまであったそうです。「キコさまは、皇位継承順位1位の秋篠宮殿下が、雅子さまの後ろを歩かれるということに対して、強い不満を表明されました。公式内の正式な序列である班位においても、皇后陛下が皇太子より上位であり、この順番を崩すことはできない、ということを何度説明しても納得して下さらなかったようです。 もしかすると、キコさまは、班位と皇位継承順位の違いを理解されていないのかもしれないですね。“何が何でも、殿下が陛下の次でないと、納得できない”といったご様子で不満を表明され、しまいには、殿下に対して“雅子さんより前を歩かないなら、私は実家に帰ります“とまで仰られました。 こうしたキコさまの我儘には、さすがに殿下も困り果てたご様子でしたね。実際に、新年祝賀の儀で宮殿に入られる際には、殿下が一瞬雅子さまの前を歩かれる場面もありましたが、あれもキコさまからの強い要望に逆らえず、やむなく雅子さまに対して、あのような無礼を働かれたのかもしれません」(前出の宮内庁関係者) 非常に多くの国民から非難を浴びることとなった「新年祝賀の儀」における秋篠宮殿下の暴挙ですが、ああいった行動の裏には、雅子さまに対抗心を燃やすキコさまの強いご意向が関係していたのですね。一体、どこまで皇室をかき乱せば気が済むのでしょうか。 すべては宮内庁の予定通り? それも、どうやら、この秋篠宮殿下が愛子さまの前を歩かれるというこの順番は、儀式の直前に決められたのではなく、11月の段階で決定され、皇室記者らにも伝えられていたようなのですね。皇室研究家で、ノンフィクション作家のつげのり子氏が、11月に執筆したネットニュースの記事で次のように書いています。 愛子さまの初公務はいつになるのかというと、現在のところ報道されているのは、来年1月1日に皇居・宮殿で行われる「新年祝賀の儀」である。皇后陛下を始め女性皇族方は、最も格式の高い正装であるローブデコルテに身を包み、勲章やドレスグローブ、ティアラを着用され、華やかさに目を奪われるほどだ。 そして以前と違うのは、会場となる宮殿・松の間に入られる順番だ。これまでは天皇皇后両陛下、秋篠宮皇嗣同妃両殿下、眞子さま、佳子さまの順番だったが、来年からは秋篠宮皇嗣同妃両殿下の後、佳子さまの前の順に愛子さまが登場されることになる。 こちらの記事によると、当初、宮殿に入られる順番は、秋篠宮殿下、キコさま、愛子さま、佳子さまという順序が予定されていたようです。服喪期間中のためキコさまが欠席されたことを除けば、残りは予定通りだったようですね。 大変なハプニングであるとして、ネット上で大騒ぎとなったこの入室順序ですが、宮内庁としては予定通りであったようです。ちなみに、Twitterユーザーの中には、この宮殿に入られる皇族方の順序はどこが決定したのか?と宮内庁に電話で問い合わせた方もいらっしゃったようで、つぎのように返答があったそうです。 入室の順番を決めたのは宮内庁だそうです、次期天皇と言う事で覇気の無い若い女性で秋篠宮は暫定で決定では無いと言っても宮内庁の決めた通りと言うので入室の仕方からして不自然だった。...

宮内庁が動いた! 急所直撃!? 紀子さま悲鳴の嵐

宮内庁も苦言を呈した悠仁さま進学報道 現在、中学3年生で、来年度には高校に進学される予定である秋篠宮家の長男・悠仁さま。「週刊文春」などの報道では、すでに一般入試の受験生よりも先に、筑波大学附属高校への進学が決定したとも報じられていますが、いまだ、宮内庁から正式な発表はなされていません。こうした状況の中、週刊誌等のメディアは、連日、悠仁さまの受験に関する情報を報道。その結果、多くの国民に、「提携校進学制度」という制度を利用した悠仁さまのズル入学の事実が知られることとなりました。 そうした中で、宮内庁は今月24日に、悠仁さまの受験問題に関する報道を続ける週刊誌等のメディアに対して、「臆測に基づいて報道するのはメディアの姿勢としていかがなものか」とする見解を明らかにしました。その結果、現在では、秋篠宮家は悠仁さまのズル入学を推し進め、週刊誌は、その事実について繰り返し報道し、宮内庁は、そうした報道を繰り返す週刊誌等のメディアに対して、報道の自粛要請を行うという状況になっています。 何故、キコさまは裏口入学にこだわるのか? ところで、何故、キコさまは、これほど多くの国民やメディアから批判され続けても、悠仁さまの裏口入学にこだわっておられるのでしょうか?どうやら、そこには、現在、マスメディアでは事実上の報道タブーとなっている悠仁さまの出生の秘密も関係しているようです。「現在でこそ、テレビや新聞、あるいは週刊誌等のメディアで、悠仁さまの出生に関して、男女の産み分けが行われたことに関して、一切報じられることはないのですが、キコさまのご懐妊が明らかになった当時には、週刊誌等で盛んにそのことが報じられていました。 ですが、何故か、暫くしてから、そのことが週刊誌等で話題となることもなくなり、いつの間にか、このことについて一切報じられなくなったのですね」(皇室ジャーナリスト) 悠仁さまの出産前に発売された「週刊女性」(2006年2月28日号)には、キコさまの顔が表紙に掲載され、「キコさま“第3子決断”と“男子産み分け”」との見出しが大きく載っています。さらに、記事の内容を見てみると、次のように書かれています。 「日本に男子の天皇の跡継ぎが生まれるかもしれない」―。世界的な通信社であるAP通信は、今回のキコさまのご懐妊をこう打電している。当初は男子と断定して打電という説まで流れた。「秋篠宮ご夫妻が男女の産み分け法で男の子の出産を目指されたという情報は関係者の間で根強く語られています。おそらくその情報をキャッチしたうえでの書き方ではないでしょうか」(全国紙記者) また、こちらの記事では、杉山レディスクリニックの杉山力一院長による、男女産み分けに関する具体的な方法まで書かれています。 杉山院長の説明によると、膣内の酸性とアルカリ性のコントロールを行うことにより、約75%の確率で希望する性別の子を出産できるとのことです。 記事では、最後に、「キコさまが実際に産み分けをされたのかどうかはわからない。ただ、今は秋に元気なお子様が生まれるのを祈るばかりである。」と書かれているのですが、実際に、キコさまは男子である悠仁さまを出産されました。皇室にとっては、待望の男子誕生となったわけですが、しかし、ここには問題もあったようです。ある秋篠宮家関係者は次のように語ってくれました。 「果たして、キコさまがどのような方法で産み分けを実行されたのかは分かりませんが、おそらく何らかの手段を用いて産み分けを実現されたのは事実でしょう。ただ、問題なのは、現在のように、遺伝子研究などの分野が発達していなかった当時は、染色体の配列異常や無精子症の男子が生まれるケースも少く無かったようです。 悠仁さまに関して、何らかの障害があるなどという発表はありませんが、どうやら、眞子さんや佳子さまと比べて喋り始める時期も遅かったようで、キコさまは、“自閉症や学習障害を患っているのではないか?”と大変心配されていたようですね。おそらく、“産み分けによって、何らかの障害が生じないか?”という問題についても深く憂慮されていたのでしょう」また、キコさまが、本気で悠仁さまの学習障害などを疑うようになったのは、小学校に上がって以降だったようです。 「キコさまは、悠仁さまが小学校に進学されてから、良い学校に進学できるように、と優秀な家庭教師を何人もつけて悠仁さまに勉強をさせたのですが、それでも思うように成績は上がらなかったようです。おそらくは、単に悠仁さまがそれほど頭が良くなかった、というだけの話だと思うのですが、月に数十万円もの費用をかけて勉強を教えても、テストで毎回平均点にも達しない悠仁さまの学力に関して、何か障害があるのではないか、と心配されたようですね」(前出の秋篠宮家関係者) 悠仁さまを想う、キコさまの愛 このように、優秀な家庭教師を何人もつけても一向に成績の上がる気配のない悠仁さまの学習状況に関して、キコさまは深く悩まれたようです。「あまりにも、悠仁さまの成績が上がらないため、いつしか、キコさまは“産み分けの技術を利用したせいで、悠仁には、学習障害が生じてしまったのではないか?”と本気で心配するようになりました。 そこで、どうやら、“悠仁の成績が悪いのは、産み分け技術を使用し、学習障害が生じたせいだ。責任は、自分にあるのだから、なんとか責任をもって、悠仁には、良い学校に行けるよう、自分が頑張らなくてはいけない”などとお考えになられたようです。お茶の水女子大学の附属校の生徒が、筑波大学の附属校に、学力試験を受けずに進学できる“提携校進学制度”を創設させたのも、こうした思いがあったためでしょう。 現在では、ネット上で、キコさまの、悠仁さま裏口入学斡旋は、“犯罪行為ではないか?”などといった指摘もなされているようですが、こうした措置は、たとえ法に触れる可能性があるとしても、キコさまの悠仁さまへの愛によってなされたものであることは事実です」過去に行った“男女の産み分け”のために、今も罪悪感と後ろめたさに苦しむキコさま。多くの国民が、悠仁さまには身の丈に合った進学先を選ぶべきでは?と考える中、現在でも、悠仁さまにエリート街道を歩ませるべく奮闘を続けられているようです。 この記事皆さんはどう思われましたか。ではこのニュースを見た人々の反応を見ていきましょう。 過去の記事、知らなかったので貴重ですね。今の報道規制は間違っています。息子の成長をこれだけ秘密にしてきたのは、裏に何かあると思わざるを得ません。息子の愛の為なら、現状を受け入れて、国民に愛されるように逆にもっと情報を出せば良いのに。そんな親子であれば、国民も必ず優しく見守るでしょう。このご一家の教育方針は根本が間違っています。...

紀子さま最大のスキャンダル !! 恐ろしい秘密が明らかに…

キコさまを巡る不穏な噂 現在、眞子さんと小室圭さんの問題や、悠仁さまの受験問題のために、多くの国民から批判を浴びている秋篠宮家。 特に、小室圭さんの結婚に関しては、母親の佳代さんが反社団体の関係者と交友関係があるのではないか?といった噂や、佳代さんが、遺族年金を不正受給していたのではないか?といった疑惑も浮上し多くの国民からの批判を招くこととなりました。 こうした数々の問題のために、近年特に世間からの風当たりが強くなっている秋篠宮家ですが、じつはこうした不祥事の数々は、必ずしも、近年のみのことではありません。秋篠宮家、特に、秋篠宮殿下とキコさまに関しては、結婚当時から様々な黒い噂が囁かれていました。 そうした噂の一つがキコさまの堕胎問題です。キコさまの堕胎問題に関しては、一種の都市伝説のように現在でも根強く語られています。 キコさまの堕胎の噂に関しては、二つの説があり、一つは、秋篠宮殿下との結婚前に妊娠し、スキャンダルとなることを避けるために堕胎し、出産をしなかったという説。 それから、もう一つは、佳子さま出産後に、男子である悠仁さまを出産する以前に生まれた女子を堕胎していたという説です。 おそらく、後者は、キコさまが佳子さまの出産から悠仁さまの出産まで長い期間が空いていたこと、それから、キコさまが男子の出産に強いこだわりを持たれていたために生まれた一種の都市伝説であると思います。 ですので、今回は、より信憑性の高い、キコさまが秋篠宮殿下との結婚前に行ったとされる2度の堕胎について解説していきたいと思います。 キコさまが堕胎をされていたという噂は、秋篠宮殿下と結婚された当初からなされているようです。そのころはネットが普及していませんでしたが関係者から口コミで噂が広まっていったそうです。当時は、以下のような噂が出回っていたようですね。 「キコ様は2回堕胎されたと高田馬場近くの医師が話していた。」 「キコ様は2度も堕胎を余儀なくされた。そのことをキコ様の父親の川嶋教授が両陛下に苦情を申し上げたことで結婚が決まった。」 「キコ様は学生時代、秋篠宮殿下に3回中絶させられて親が皇室に嫁がせないと暴露すると言って怒っていた。」 「昭和天皇の喪中にもかかわらず結婚を早急にしなければならなくなり婚約会見を開いた」 こちらのコメントにもあるように、キコさまと秋篠宮殿下は、昭和天皇の喪中に結婚されました。昭和天皇が崩御されたのは、1989年1月7日でしたが、お二人が結婚されたのは、同年8月です。眞子さんと小室圭さんの結婚ほどではないにしても、秋篠宮殿下とキコさまの結婚も多くの国民から反対を受けることとなりました。そして、反対を受けることとなった非常に大きな理由の一つが、喪中結婚であったことなのですね。 キコさま異例のご結婚騒動 「週刊文春オンライン」の記事では、秋篠宮殿下とキコさまの結婚は異例中の異例であったとして、次のように解説されています。 天皇家のご次男の、思いがけないご婚約発表。その、お相手として紹介されたのが学習院大学教授の娘であり、同大学院に通う川嶋キコだった。世間は大いに驚き、人々の眼はテレビや新聞、週刊誌のグラビアに釘付けになった。 皇室担当記者が語る。 「考えてみれば異例中の異例の出来事でした。宮内庁記者たちは、まったく想像もしていなかったでしょう。まず第一に昭和天皇が1月に亡くなられた、その年の8月のことで、まだ喪中でしたからね。しかも、礼宮は学生という御身分、当時はイギリスに留学中でした。年齢もまだ23歳とお若かった。兄宮に先駆けるというのも、長幼の序を重んじる皇室において、考えられないことだった」...

悠仁さま絶望 !!! 紀子さまは母ではない !? 恐ろしい真実が明らか

悠仁さまを巡る二つの大問題 筑波大学付属高校への不正入学と、作文コンクールでの盗作問題という二つの大きな問題で物議を醸している秋篠宮家の長男・悠仁さまですが、皇位継承順位2位で、将来の天皇という地位にあるため、宮内庁はこうした一連の問題に関して、大変憂慮しているようです。 「宮内庁が特に憂慮している事の一つは、こうした不正を繰り返していては、ご自身で困難に立ち向かう気力や能力が培われないのではないか?ということ。それから、もう一つ、そもそも秋篠宮ご夫妻にまともな子育ての能力がないのではないか?ということです。 多くの子どもたちにとって、受験勉強というのは、自分たちの人生で直面する大きな困難の一つですが、そうした困難を乗り越えることで、挑戦したり、努力して困難に立ち向かう気概や精神力が養われるという面もあります。 ですが、悠仁さまはご存じのとおり、お茶の水幼稚園に入園して以来、中学校まで、エスカレーター式で進学し、今回の高校受験では、“提携校進学制度”という事実上の裏口入学を選択されました。 さらに、現在では、東大にも学力試験を受けずに、なんとか推薦入試で入学できるよう画策されているそうです。 おまけに、作文や工作などの課題については、毎回大部分をお手伝いの職員にやらせているなどとも噂されていますからね。果たして、このように、ズルをして困難な課題から逃げまくっていては、天皇として相応しい精神性や気概が養われないのではないか?という事は多くの宮内庁職員らが懸念しているようです」(宮内庁関係者) こうした意見には、多くの人々が賛成するのではないでしょうか?近年では、「秋篠宮殿下や悠仁さまに皇位継承させるのではなく、愛子さまこそ皇位継承すべき」といった愛子天皇誕生を熱望する声もありますが、こうした愛子さまへの期待は、悠仁さまへの失望の裏返しという面もあるでしょう。 また、このように、悠仁さまが困難に立ち向かう機会をことごとく奪ってしまっているのは、キコさまの過剰な愛情や、それに伴う過保護さとも関係しているように思えます。 悠仁さまをおかしくさせた過保護すぎるキコさまの教育 それからもう一つ、秋篠宮ご夫妻の子育ての能力の問題も深刻なようです。今回の作文コンクールでの盗作問題が発覚した際に、悠仁さまは、他者の文章を剽窃してしまったことについて謝罪をするのではなく、「指摘に感謝します」などと述べられたそうですが、ここにもキコさまが関係しています。 「本来であれば、作文コンクールでの盗作問題が発覚した際に、キコさまは、作文で盗作を行った悠仁さまに厳しく注意すべきだったのですが、キコさまは、悠仁さまを叱るのではなく、作文を手伝った職員や、コンクールへの応募を勧めたお茶の水女子中学の関係者等に注意をされてしまったのです。 おそらく、悠仁さまも、こうしたキコさまの姿勢をご覧になられたために、“悪いのは自分ではなく、学校やお手伝いの職員さんなんだ”と勘違いされてしまったのでしょう。 悠仁さまの“指摘に感謝しています”発言が報じられた際に、ネットニュースのコメント欄等には、“盗作しているくせに何様なのだ”ですとか、“常人には理解しがたい感覚だ”といった意見が書き込まれていたのですが、悠仁さまのこうした不可解な発言の裏にも、キコさまの常軌を逸した言動が関係しているのです」(前出の宮内庁関係者) 宮内庁内では、こうしたキコさまの異様な言動のために、悠仁さまにまともな人格が形成されないのではないか?といった懸念の声も上がっているようです。 キコさまは、母親失格か? また、このように懸念する職員の中には、「悠仁さまを秋篠宮ご夫妻の元から引き離し、天皇陛下や雅子さまのもとで生活させ、教育していくべきではないか」などと提案する者すらいるようです。「女性セブン」(2022年3月10日号)には、次のようにあります。 そんなキコさまのそばで、ひいては秋篠宮家のなかで、悠仁さまが成育されることを不安視する声が宮内庁内では高まっているという。 「天皇に必要なのは、国民と競争して勝つことではなく、国民に寄り添う姿勢、それを支えるお心です。そうしたものが、これまでに悠仁さまの中に育まれているでしょうか。愛子さまがここまで立派に成長されたのも、陛下と雅子さまの“なさりよう”を近くでご覧になってきたからです。その経験は、どんな言葉よりも強く天皇に必要な人格形成に影響します。そのため、“悠仁さまは両陛下のもとで過ごされるのがいいのではないか”という機運があるのです」(前出・宮内庁関係者) こちらの記事では、「悠仁さまは両陛下のもとで過ごされるのがいいのではないか」という穏当な表現が用いられています。...

紀子さま絶望 ! 秋篠宮家廃嫡 !? 屈辱発表ついに・・・

これまで、長い期間、長女・眞子さんの結婚問題が話題となり、多くの国民から批判をされてきた秋篠宮家ですが、10月に、眞子さんは小室圭さんと結婚。これで、国民からの批判も収まるかと思いきや、現在では、また違った問題により、批判がなされているようです。特に、週刊誌等のメディアが話題にしているのが、長男・悠仁さまの高校進学の問題です。 悠仁さまの通われているお茶の水女子大学附属中学校は、中学までは共学なのですが、高校からは女子校となるので悠仁さまは高校進学時に、他校を受験する必要があります。ですが、どうやら、悠仁さまは、紀子さまが望まれるようなレベルの高校に進学できるだけの学力に達しておられない、ということで、裏口入学を画策されているのではないか?と話題になっているのですね。 悠仁さまは、お茶の水幼稚園に入園されて以来、エスカレーター式で、小学校、中学校へと進学されたのですが、お茶の水幼稚園も、研究者の子女を対象にした「特別入学制度」にて入学していますので、受験を経験されたことは一度もありません。この特別入学制度」も、どうやら、制度の創設以来、実際に利用してお茶の水幼稚園に入園したのは、悠仁さまのみということで、これも事実上、お茶の水女子大学の特別研究員であった紀子さまが、悠仁さまを入園させるために作らせた制度だったのですね。 ほとんどの週刊誌等のメディアでは、「特別入学制度は、悠仁さまをお茶の水幼稚園に入園させるために作られた制度なのではないか、と噂されている」などといった具合に曖昧な表現をしていますが、入園したのが悠仁さまお一人なのですから、「悠仁さまを入園させるために新設した制度だった」と断定してしまっても何の問題もないでしょう。実際に、この制度は、悠仁さまが入園した後に、特にこれといった理由もなく廃止されています。 また、悠仁さまの高校進学の問題について報じられる際に、必ずと言っていいほど話題となる、筑波大学とお茶の水大学との間で、両校附属校の生徒の数名が進学のタイミングで交換入学ができる「提携校進学制度」に関しても、「感化さまを筑波大学の附属校に入学させるための制度」であると断定していいように思えます。というのも、この制度は、悠仁さまの中学校進学の直前に創設されたのですが、実際に、この制度を利用して筑波大学の附属校、または、御茶ノ水女子大学の附属校に入学した生徒は皆無なのですね。 おそらく、学校側としては、悠仁さまを筑波大学附属中学に入学させた後に、先のお茶の水幼稚園の特別入学制度」同様に、さっさと廃止してしまう予定だったのでしょう。超進学校出身者が世間から一定の尊敬を受けるのは、彼らが正当に難関試験を突破し、そして卒業したからですよね。だからこそ世間も「すごいと評価するし、彼らも母校や交友を誇りに感じることができる。 ですかA宮妃は不正な方法で、本来はそこに所属する資格もないのに、息子をその学校に所属させ、世間からの名誉を得ようとする。この問題が非常に不快なのは、結局やっていることが「名誉の強奪、盗み」だからなのです。これは「盗っ人」「乞食」と同じです。大変に卑しい行為だと思います。 むろん、試験をパスして一流校に所属するということは、将来の活躍を約束されるものではないし、人間の価値はそこでは測りえないものもありますから、そういった世間からの評価は皮相的なものではあります。それを踏まえたとしても、この宮妃の行為はさらにみっともないし、下劣そのものです。 2。筑波大学は、悠仁さまの受け入れに抵抗 ちなみに、悠仁さまがこの制度を利用して筑波大学附属中学校に進学しなかった理由に関して、「眞子さんの結婚問題で、国民から秋篠宮家に対する批判の声が強まったため」だということがよく言われるのですが、どうやら、他にも重大な理由があるようです。 「この“提携校進学制度”による進学の基準は、非公開とされているのですが、実は、紀子さまからの強い圧力を受けで基準などどうでもいい、とにかく悠仁さまを筑波大学の附属校に進学させられればそれで構わない”と考えておられる御茶ノ水女子大学の学長と、筑波大学の学長の考えが対立しているそうなのですね。 “成績などどうでもいい”と考えている御茶ノ水女子大学の学長とは対照的に、筑波大学の学長は“たとえ悠仁さまを入学させるための制度だったとしても、一定の績基準は満たしてもらわないと困る”という主張をしているそうなのです。どうやら、このことは紀子さまにとっても大きな誤算であったようですね。 悠仁さまの幼稚園入園時には、少し頼んだだけで、新制度を創設し、フリーパスで入園が許可されたものですから、中学進学時にも、すんなり筑波大学の附属校への入学が可能だと考えておられたようですね」(筑波大学関係者) この大学関係者の話によると、筑波大学の学長は、現在でも「一定の学力と成績基準に到達しなければ、入学は許可できない」と考えているそうで、そのため、お茶の水女子大学や紀子さまとの調整が難航しているそうです。例えA宮家だろうと、他の受験生と同じスタートラインに並ばせるのは当たり前です。それにしても、紀子さんは何故そんな悪知恵ばかり考えるのでしょうか? ある意味、佳子さんは上智大学を自力で受け落ちても、あっぱれでしたね?「現在でも、悠仁さまの進学先の高校が決まっていないと言われているのはそのためです。紀子さまとしては、なんとしてでも、悠仁さまを筑波大学付属高校に入学させたいと考えているようなのですが、もし筑波大学側が入学を許可しなければ、他の高校を探すほかありません。 それにしても気の毒なのは、御茶ノ水女子大学の学長ですよね。週刊誌では、紀子さまが頻繁に学長に電話をしているなどと報じられていましたが、紀子さまに詰められていることは間違いないでしょう。噂では、何が何でも悠仁さまを筑波大学附属高校に入学させたいとお考えになられている紀子さまと、なかなか入学を許可しない筑波大学の学長との間で板挟みとなり、ほとんどノイローゼに近い状態になっているとも言われていますよ」(前出の筑波大学関係者) こした状況に関して、天皇陛下などは大変心を痛められているそうです。陛下は、常に国民に寄り添い、国民と共にあるということを考えてこられたのですが、それだけにほとんど裏口入学のようなかたちで悠仁さまを難関校に進学させようとしている紀子さまに対して、快く思っておられないそうです。「週刊誌などで、悠仁さまの高校進学や、紀子さまが制度を捻じ曲げてまで無理やり悠仁さまを難関校に入学させようとしていることが報じられる度に、陛下は、を痛められてきました。 最近では、宮内庁の職員などに対しても、“悠仁君は、しっかりと実力で入学をした方が良いのではないでしょうが”などと相談されることもあるそうですよ。陛下は、常に国民に寄り添い、国民と共に歩まれるということを強く意識しておりますから、それだけに将来天皇となられる悠仁さまが、このようなズル入学をされることには、強い抵抗感を示しておられるのでしょう。ただ、陛下がこのような懸念を口にされていることに関して、紀子さまは、不快感を露わにされているようですね。 陛下がこのようなことを仰られたことを知った際には、ほとんど発狂せんばかりの調子で低学歴天皇は嫉妬しないで”“悠仁は、初の東大出身天皇になるの!あなたのような学習院卒とは違うんですよ!”などと仰られておりました」(宮内庁関係者)

紀子さんの恐ろしい秘密 ! 文書 「出自」が明らかに !? 本当に怖い、 普通じゃない

元宮内庁の方のブログで、川嶋辰彦が入院して助からないと分かった紀子が、「出自」を隠す為に、祖父母の過去の資料を隠ぺいしていたそうだ!! 祖父母のチマチョゴリ姿や、朝鮮の親戚の写真が遺品で大量に存在か? 前列左から紀子、秋篠宮、川嶋舟後列左から川嶋和子(元・朝鮮総連勤務)川嶋辰彦元宮内庁の方たちのブログによると、川嶋辰彦・和子・舟・舟の連れ子のリコが、皇居(乗っ取った江戸城)に棲みつき、「悠仁の教育係」として、日本国民の税金から給料もらって暮らしている!!と。眞子と小室圭が税金にたかる手口は、母親の紀子と川嶋一家から学習したんだろう!! 小室圭と同じく、学習院のただの講師だった川嶋辰彦が、紀子が秋篠宮と婚約内定したとたん、ロイヤルパワーで3段階昇進で学習院「教授」に!!川嶋辰彦(紀子さま父)がパチンコ社長と韓国旅行!検察に操作された三井慶昭とは?新潟のパチンコ屋の在日韓国人と、しょっちゅう韓国に里帰りしていた!と大きく報道された川嶋辰彦!! ①紀子が秋篠宮と婚約が内定したので、静岡の北朝鮮人部落だったが、全く関係のない和歌山の庄屋「川嶋家」の勝手に川嶋辰彦が養子に入った!! ②朝鮮人の仲間の助言で、勝手に養子がばれないように紀子の婚約発表後に「川崎」から→「川島」に島を変えた! ③出自がバレないように、静岡の寺と、和歌山の寺が放火され、過去帳(家系図)が燃やされた!! ④静岡ではラブホテルとパチンコ屋だった!!↑元宮内庁の方のブログに、去年から出ていた証言!!紀子さま“祖父母の過去”を「隠ぺい」か「資料が消えた」と証言が相次ぐ 1。焚書という歴史 これまでに紹介した三つの焚書は、人類史上で起きた最も大規模で激しいものだ。だが、小規模なものは日常茶飯事のように起きている。今回紹介したいのは、紀子さまをめぐる不思議な事件だ。 2。たどり着けない皇室記事 週刊誌の皇室記事ほど当てにならないものはなかなかない。先週と今週で全く逆のことを言っていることもよくあるし、この期に及んでも、なおも秋篠宮家を称賛し続け、眞子さまと小室圭さんの結婚を前向きにとらえようとする。「週刊誌の背後には紀子さまのご意向が働いているのではないか?」という声も多い。 一方で、週刊誌の記事は、必ずしも秋篠宮家にとって都合の良い内容ばかりではないことも確かだ。たいていは想像力たくましいウワサ程度なのだが、中には事実を伝えているものもある。そういった記事が、いつのまにか消えてしまい、最初から存在しなかったことにされてしまっている――という話がしばしばある。たとえば、さる有名ブロガーのサイト(列外派星くず日記)には次のような驚くべき報告があった。 この隠匿された手記には何が書かれていたのだろうか? なんとその内容は、紀子さまの祖父が終戦期に北朝鮮のピョンヤン(平壌)に長期滞在していた思い出や、紀子さまの祖母がチャイナ服をお召しになっている写真がはいっている。多くの国民からすれば何ら問題のない内容であるが、一部の人からすれば「将来の天皇家となる秋篠宮家にとって都合が悪い」と感じることであろう。 誰かがこの記事を破いて「焚書」にしてしまったから、図書館の人は見つけられなかったのではないか――と考えても全く不思議ではない。事実、紀子さま関係の雑誌記事を収集していた、インデックスさん(女性天皇を支持する国民の会を主催)も、同じような経験があったとツイッター上で告白している。 3。実際にあった皇室焚書事件 はたして紀子さまを巡り、現代の「焚書」が今も続いているのだろうか? 元宮内庁職員で皇室ジヤーナリストの小内誠一さんに話を伺った。「皇室タブーに触れる雑誌記事などは、人知れず抹殺されてしまうことは今もあります。 たとえば病床の昭和天皇を特集した『女性自身』1988年10月11号は、陛下の写真を左右反転させたまま掲載してしまい、これが『着物の前合わせが左前』という“死に装束”を暗喩するものだったため大騒動になり、全面回収の後、廃棄処分されました。こういった騒動を受けて、この『女性自身』1988年10月11号は、国立国会図書館から紛失した状態になっています。関係者の誰かが隠ぺいしようとやったのでしょう。...

「皇室から追放を」 止まらぬ震え… ブーメラン炸裂

1.孤立する秋篠宮家 年末に向かう皇室内において、秋篠宮家が孤立を深めています。やはり直接の原因は、小室圭さんと眞子さんの結婚に反対する声を「誹謗中傷」と決めつけたことが、「国民に寄り添う」という皇室の精神に反しているからです。 紀子さまは余りの惨状に、週刊誌や雑誌を読むときの手の震えが止まらないそうです。 反秋篠宮家の急先鋒は久子さまで「秋篠宮家に皇族の資格なし!」と断言なされ、紀子さまからお茶会などのお誘いがあってもすべて無視しているそうです。また信子さまも、眞子さんの一件に嫌悪感を隠さず、秋篠宮家との交流を断っているそうです。 そりゃそうでしょう。天皇陛下や雅子さま、愛子さまはもちろん、久子さまも信子さまも、真心から公務に尽くされ、国民に寄り添い、国民と共に歩む姿勢を崩していません。決して公より私を優先させたりはしません。 一方、秋篠宮家の私利私欲を優先させた仰天行動は枚挙にいとまがありません。眞子さんの結婚容認や、反対の声を誹謗中傷」と決めつけるのは序の口。50億円の自宅を建設中なのに、一切、会計監査は受け付けない。お車代の出る公務には必ず参加する…などなど。 たとえば秋篠宮殿下は、大日本農会・大日本山林会の名誉総裁についています。ですがこの二つの名誉総裁職には、多額の謝礼が払われていた過去があります。97年12月、現上皇の従兄弟になります、桂宮よしひとしんのうは、両団体の表彰式に出席した「役員報酬」として、それぞれ50万円ずつ受け取っていたことが国会で疑問視されました。その後、この「役員報酬」は「お車代」として払われるようになり、今に続くそうです。 表彰式に参加するだけで50万円の収入!これだけで驚くべき皇室特権ですが、この両団体の名誉総裁を「ぜひ秋篠宮家に引き継がせてください」と宮内庁に懇願(こんがん)したのは、紀子さまだというのですから、驚くべき銭ゲバです。 皇位継承権一位になっても、内廷皇族ではなく、いち宮家として残った秋篠宮家。その目的は「内廷皇族になったら公務で“お車代”が貰えなくなるから」なのだそうです。 ここまで金!金!金!だと驚かされます。なんでこんな人が皇族なんでしょうか? 平成時代は、美智子さまのメディア統制が効いていましたから、週刊誌からバッシングを受けずに済みました。ですが美智子さまが引退され、令和の時代は報道の自由が広がったこと、そしてSNSなどが広まり「ウソが隠せない」時代になったことにより、秋篠宮家の悪行が世に知れ渡りました。 その結果、国民から秋篠宮家は総スカン状態。先ほども述べましたが、秋篠宮家は皇室内でも煙たがれており、急先鋒である久子さまは「秋篠宮家を皇室から追放せよ」の立場を強く持たれているそうです。そして胡散臭い噂は海外にも飛び火し、令和元年の即位の礼に関連する儀式で、紀子さまはスペイン王室のレティシア王妃の御機嫌を取るために近づくも完全無視されてしまいました。 2.ブーメランが刺さる秋篠宮家 なぜ秋篠宮家は、ここまで嫌われるのか? それは、平成時代に紀子さまが、美智子さまと組んで、雅子さまバッシングを続けたからなんですね。その最たるものは、お抱えの手下に、「皇太子殿下(*現、今上陛下)と雅子さまに退位要求して、京都で隠居生活しろ」とか、「雅子は離婚して出ていけ」とか雑誌に書かせていました。これは本当の話です。 たとえば「秋篠宮が天皇になる日」という冗談みたいな記事を書いた、評論家の保阪正康さんは、美智子さまと大の仲良しで、秋篠宮家にも入り浸っていることは有名です。また作家の山折哲雄も、秋篠宮家派として有名ですが「皇太子殿下、ご退位なさいませ」と次のように言い放っています。 お子さま方にたいする教育方針にも自立的な生き方がうかがわれ、好感を寄せる人々も多いのではないだろうか。…中略…秋篠宮 のご発言と立居振舞いが、皇室における象徴家族と近代家族という二重の性格を近衡(きんこう)させる安定的な地点に、より近くお立ちになっているように私の目には映っているのである。皇太子による寛大な「退位宣言」が、その「譲位」へのご意見とともに秋篠宮に自然な形で受け継がれていくことを願わずにはいられないのである。 つまり「秋篠宮家は子育てに成功している。適応障害の雅子さまと不登校の愛子さまを抱えている天皇家より、子育てに成功した秋篠宮家のほうが日本国の象徴に相応しいから、皇位を我々に譲れ」と秋篠宮家はお抱え評論家に書かせていたんです。 まさにブーメランですね。じゃあ「秋篠宮家は子育てに失敗して、好意を寄せる国民は全くいないのですから、当然皇位継承権を辞退して愛子さまに譲りましょうね」ってまさにブーメランが突き刺さっています。 でもなぜかこれを言う雑誌も新聞も評論家はいません。それはそうです。メディアは美智子さまと紀子さまの支配下なのですから…。罰則付き報道規制も強まっており、正論(せいろん)を口にできるのは国民だけ——そんな不可思議な状態になっています。 美智子さまと紀子さまが平成時代に積み重ねてきた悪行が、令和になりブーメランとなって秋篠宮家に刺さっています。紀子さまは震えが止まらず、誕生日会見なども全部キャンセルして、文書のみの発表とするなど対応をしています。久子さまが仰った「秋篠宮家の追放」はもうじき現実化するかもしれません。...

終了のお知らせ !! 秋篠宮夫妻の離婚危機 ! 恐ろしい真実明らか

昨年は秋篠宮家の眞子さんが強行結婚をしてアメリカに逃亡したりと悪い意味で秋篠宮家が目立った年でした。そんなバッシングが続く状況の中で、秋篠宮さまが皇位継承順位となったことを国内外に宣明する。「立皇嗣の礼」は滞りなく行われました。 しかし、その内側では秋篠宮さまと紀子さまによる、ドロドロの夫婦喧嘩があったようです。いったいなにがあったのでしょうか。今回はそちらについて紹介と詳しい解説をしていきますので、ゆっくりしていってください。ではさっそく。ここからは引用を含みます。 さて、一昨年の11月8日に、秋篠宮さまが皇位継承順1位となったことを国内外に宣明する「立皇嗣の礼」が行われました。天皇、皇后両陛下はその2日前、皇居で公務を行なわれたあと、儀式のリハーサルに臨まれています。 これに秋篠宮両殿下も加わり、装束を身につけられ、本番さながらのリハーサルが行わました。皇室内にも、年内挙行に対して大きな喜びが広がる中、上皇后美智子さまも大変これを楽しみにされていたのですが...。 残念ながら秋篠宮ご夫妻の現在の関係性は決して良好ではなく、2日前に行われたリハーサルである事件が起こったようです。内情に詳しい宮内庁幹部は、こう述べています。「紀子さまは、秋篠宮家への皇位委譲が確定し、将来悠仁さまがご即位あそばされるのを悲願とされています。 儀式に向けての所作の確認などに余念がなく、 また現政権とも懇意な関係を築くために、連日関係各所との会談を行うなど、精力的に動かれていました。10月17日に行なわれた、中曽根元首相の合同葬に一家総出で参列されたのも、 引き続き男系男子による皇統護持の考えを曲げないで欲しい、との要望を菅総理や政権幹部に伝えるためだったそうです」一方、精力的にご活動される紀子さまと、秋篠宮殿下との間には、大きな溝が生まれているといいます。 殿下は元々、ご自身の即位の可能性は感じず、自由に伸び伸びと成長されました。はじめは立皇嗣の礼はあくまでも形式上のものであり、自分が高齢を理由に即位辞退の特例法を作ってもらえば、すぐに悠仁に委譲されるはずだ、と軽く考えておられたようですが。。。。 日々押し寄せるご公務、祭祀の所作の修得、皇太子同等のお立場としてのお振る舞いを身につけること、あらゆることに忙殺されています。リハーサルでも空を眺めては『なんでこんなことに』などとつぶやかれる始末。 そういった姿は紀子さまにも受け入れがたいものなのでしょう。リハーサルの間も口論が絶えず、周囲でサポートする者たちも言い争いの節度のなさに辟易していました。さらにこのリハーサルの途中に、秋篠宮邸に1つの荷物が届きました。 小室佳代さんからのものであり、中身は殿下が確認された佳代さんの裸婦画だったのですが、紀子さまにも一報が入れられたのです。紀子さまはこの絵の意味を佳代さんからの略奪宣言と受け取られたのでしょう。 リハーサルの途中、空を眺めては『小室...』などとつぶやかれていた殿下に対し、皆が見ている前で感情を顕にされました。『そんなに佳代さんからの絵が気になるのですか? ここで真面目に取り組む気がないなら出ていきなさい、佳代さんと一緒になりたいのでしょう!』と殿下に迫られたのです。 紀子さまのご心情としては、皇太子同等のお立場として適切に振る舞えない殿下に・発破をかけたいというお気持ちの他に、小室佳代さんと殿下の関係への疑念を、公の場で明らかにしたいというお気持ちがあったのではないかと思われます』すでに眞子さんが結婚して、小室家と親戚関係となった秋篠宮家。 どうやらその影響は今後も続きそうです。以上が1つ目の記事の内容です。皆さんはどのように感じましたか?小室佳代さんが送ってきた裸婦画はこの際どうでもいいとして、夫に向かって出ていきなさいなどと言う紀子さまは、まさに鬼嫁な気がしますよね。 では2つ目の記事に移ります。さて、ニューヨークでの暮らしが早くも2カ月目に入った小室眞子さんとさん。2人が自宅近所を散策する様子や、眞子さんが一人で買い物をする様子が海外メディアで報じられているところを見ると、どうやら存分に自由を謳歌しているようです。いったいなぜ、夫妻はこんな気ままな生活を送れるのでしょうか。 実は、その裏にはある「大物後見人」の存在と、いまだに秋篠宮家の手厚い支援があるためと言われています。現地在住のジャーナリストは、このように述べています。「おそらくNYの日本総領事館が助けに入っているのでしょう。この時問は地下鉄に乗ってはダメとか、この通りは危ないとか、生活の知恵を教えてあげているはずです」さらにNY日系人会関係者が明かすところによると、 二人の住居を探してきたのも日本の外務省と総領事館で、まだ結婚前の小室圭さんに「大物後見人」を引き合わせたのも外務省だといいます。その「大物後見人」といわれているのが、NY在住の日系人弁護士、ゲイリー森脇氏です。 ゲイリー森脇氏はNIV日系人会で会長を務めた後、現在は名誉会長の座にある人物で、年齢は70代前半となっています。2020年の夏に、ゲイリー森脇氏が「共同経営者」のような立場にある弁護士事務所で小室圭さんがインターンをしたことはすでに報じられていますが、さらに圭さんが現在勤めている法律事務所を紹介したのも、ゲイリー本臨民たと言われています。...

メス豚は黙ってなさい !? 愛子天皇指示の高市氏に紀子さまが放った言葉が酷すぎる!

皇統の維持が問題となっている今、愛子天皇待望論が更に注目を集めています。今回は、紀子さまが高市早苗議員に向けて言われた。という一言が話題になっています。一体どういうことなのでしょうか。その内容をお伝えしていきます。あわせで、愛子天皇待望論や高市早苗議員が愛子天皇待望論に対してどのようなメントをしたのかについても一緒に紹介していきます。ぜひ、コメント欄にあなたの感想を記載して下さい。 眞子さんが10月に結婚、渡米し、12月に愛子さまが成年皇族となられた今、皇室への国民からの関心は高まっています。特に、有識者会議も開かれている、皇統の維持をどのように考えていくのか、という点については、特に関心を集めているようです。2004年、小泉純一郎内閣により「皇室典範に関する有識者会議」が設置され、女性天皇・女系天皇を認める報告書がだされましたが、悠仁さまの誕生により、それらは頓挫してしまいました。 現行の皇室典範第一章の一条では、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、かこれを継承する」となっており、天皇家の長女・愛子さまには皇位を継承する資格はありません。現在の皇位継承順位の第一位は、秋篠宮さまであり、第二位は秋篠宮家の長男・悠仁さまとなっていますが、国民の間には、愛子さまに天皇になってもらいたい。という声が多数上がっています。愛子天皇待望論が、過熱してきた背景には、秋篠宮家への国民からの不信感が高まっているという現状があります。 秋篠宮家は、眞子さんの結婚騒動に加え、公よりも私を優先しているように見える言動が報道されてきました。例えば、秋篠宮さまが53歳の誕生を迎えるに際し、行われた記者会見で秋篠宮さまは、天皇の代替わりに伴う大嘗祭について、コメントされたことがありました。その記者会見で、秋篠宮さまは「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べた後、「宮内庁長官らはこの考えに聞く耳をもたなかった』と苦言を呈されました。 国費の節約について、述べられた秋篠宮さまですが、一方で秋篠宮家の改修工事では多額の税金が使われており、総額60億円を超えていると見られています。天皇ご一家の新しい住まいにかかった費用が総額87億円ほどあることもあり、篠宮家にかかっている費用に多くの疑問が投げかけられました。このように、発言と実際の行動が異なっていることから、秋篠宮家は多くの批判を受け、相対的に天皇家への国民からの評価は高くなっています。 また、愛子さまの成年行事での佇まいや、成人されると同時に公開された文書の内容が素晴らしかったことも、愛子天皇待望論を後押しする結果となっています特に、愛子さまが文書の中で、「様々な方と出会い、関わることを通じて、人と人とが互いに手を取り合い、交流の輪が広がっていく素晴らしさを学び、全ての経験が、今、私の財産となっています。 今日に至るまで私の歩みに関わってくださった全ての方に深く感謝いたします。」と、国民に向けても感謝の言葉を述べておられたことは多くの国民の心を打ったようです。仮に、愛子さまが天皇として即位された場合には、女性天皇が即位することになります。しかし、愛子さまのお子さまが天皇に即位した場合は、女系天皇が誕生することになります。愛子さまが即位された場合には、女性の男系天皇ということになります。 様々なメディアが行った世論調査を見ると、女性天皇への賛成率は、え、まとても高く、なかには80パーセントを超えるものもありました。さらに自民党内でも、女性天皇を支持する勢力が強くなっているようです。高市早苗政調会長は、「私は、女性天皇には反対をしていません。女系天皇に反対しているのです」と述べ、直接的ではないものの女性天皇を支持する考えを明らかにしました。 また野田聖子氏は、女性・女系天皇の両方に賛成しており、河野太郎氏も過去に、「愛子さまから順番に、女性の皇室のお子さまを天皇にしていくのが一つ」と、女性天皇を容認する発言をしていました。岸田文雄首相も、「女系天皇以外の方法を検討すべき」としており、女性天皇には反対していません。過去の調査によれば、自民党候補の34パーセントが女性天皇に賛成しているようですから、女性天皇への反対よりも賛成の方が、強くなっていることがわかります。 女性天皇は歴史を見ても、8人の存在が確認されており、女性が即位できなくなったのは明治時代以降のことです。女性・女系天皇が認められるには、皇室典範の改正が必要となり、改憲にあたっては国民投票が必須となります。日本では、憲法で「主権の存する日本国民の総意に基づく』と定められており、憲法を改正するためには「国会で衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成を経た後、国民投票によって過半数の賛成」が必要となっています。 皇族の方々も、国民に寄り添う皇室を目指しておられ、国民の投票によって皇室のあり方が決まることに反対するということはないでしょう。愛子さまが今後、公務をこなしていくにつれ、さらに愛子さまへの国民からの敬愛は増していくに違いありません。一方で、秋篠宮家には佳子さまの結婚や、悠仁さまの進学といった課題が待ち受けていますから、より慎重な行動が求められて、いると言えるかもしれません。 しかし、女性天皇を支持する発言をした高市早苗政調会長をご覧になったキコさまが言われたという一言は、さらに秋篠宮家への不信感を高める結果になるでしょう。宮内庁関係者は、「キコさまは、悠仁さまが天皇として即位される可能性が脅かされるということをそお聞きになったのか、高市早苗政調会長について、『余計なことをおっしゃらないでいただきたいです』と、愚痴をこぼしておられたとか」と話します。 キコさまは、初の東大出身の天皇を誕生させたいと願っておられるようですから、その悲願を達成するために、摘める芽は摘んでおきたいと考えておられるのかもしれません。「皇位が秋篠宮家に移ることを喜べない」 この記事皆さんはどう思われましたか。ではこのニュースを見た人々の反応を見ていきましょう。 時代は変わっています!男系で繋がっている!と言うけど秋篠宮家のような天皇に相応しくなさ過ぎるのが出現されたのだから、ここが時代の変わり目!女性天皇当たり前!愛子様のおこ様ならきっと素晴らしい天皇に相応しいおこ様です!血筋は女の子でも男の子でも繋がっていますよ!心配せずに愛子様を次の天皇に!!!秋篠宮家に移したらしい大変ですよ!!! 60億ですか。コロナで職を失い子をかかえ生活保護申請も役所から断られ苦しい生活をしている人が何人いるか。60億あったら何人の人を救えるか? 紀子さん言葉使いに気をつけましょう。自分を何様の積もりなのか高市氏は選挙で選ばれた方です。そんなだから紀子さん嫌われるのですよ!反省して下さい。 国民民意が必要性も良い事です。遠越えでキャン〜キャンと叫んでも国民には応えませんし、政治家も内心は苦虫して居るから本音が出るのです。御言葉に気を付けられるのが懸命かと思います。