悠仁さまの闇が深すぎる…秘密が明らか!!

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皇位継承順位第1位の秋篠宮さまは天皇陛下の弟だ。皇嗣殿下は評論家の八幡和郎さんは「陛下と同年配の皇嗣は、皇太子と違って天皇の代行者あるいは代理としての性格が強い。この特殊な立場を利用して、皇室外交で大きな役割を果たし、また、皇室のご意見番であってほしい」という――。

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皇位継承順位第1位の秋篠宮さまは天皇陛下の弟だ。皇嗣殿下は評論家の八幡和郎さんは「陛下と同年配の皇嗣は、皇太子と違って天皇の代行者あるいは代理としての性格が強い。この特殊な立場を利用して、皇室外交で大きな役割を果たし、また、皇室のご意見番であってほしい」という――。

英国王戴冠式でのお振る舞いは好評だった。

2023年5月、英国のチャールズ国王の戴冠式に、秋篠宮皇嗣殿下ご夫妻がご出席になった。この人選について、天皇皇后両陛下が参加されるべきという意見もあったが、両殿下の立派なお振る舞いやキコさまの美しい和服姿は好評で、秋篠宮家に対するイメージもだいぶ改善したのではないか。

平成と令和の即位礼にエリザベス女王が出席されていないのだから、レシプロシティ(対等性)からいっても陛下の参列は考えにくかった。

経験不足が心配という人もいたが、秋篠宮殿下は陛下と同じくオックスフォード大学に留学され、キコさまも幼少期を米国とオーストリアで過ごされていた。公務でも数多くの海外訪問や来日した外国王族への接遇を分担されているから、問題があろうはずなかった。

しかも、英国側が日本皇室との長い交流の歴史に配慮してくれたのか、各国の皇太子などの集団のなかでカメラ写りの良い最前列の席が用意された。

公式レセプションでも各国の君主や王族や、旧知の元ブルガリア国王などヨーロッパの社交界で影響力がある元王族たちとの交流を深められた。

皇嗣殿下としての活発な皇室外交に期待。

服装は英国側から第一級の礼装でないといわれたので、各国の王族たちは面食らったようだ。スペイン国王など多くが軍服。オランダ国王はモーニングには普通はつけない勲章をつけていたし、秋篠宮殿下やリヒテンシュタイン大公はモーニングに略章だけ、ヨルダン国王のように平服の人などまちまちだった。

和服など民族服は、ルールの枠外だが、日本で礼装に使う黒い留め袖は違和感があるので、妃殿下の淡い色の訪問着は適切で、各国のテレビ映像でも好意的に取り上げられていた。難癖つける人もいたが、単なる自分の流儀の宣伝だ。また、殿下の身長の高さは、レセプションのときなど見栄えがした。

この戴冠式行事への参加が、皇嗣殿下としての皇室外交を活発化するきっけになれば幸いである。

両陛下の海外訪問は、皇后陛下の体調不十分から回数や日程に制約がある。その中で、殿下ご夫妻には、平成年間の皇太子外遊とは違った少し重い位置づけでの皇室外交を展開してもらう必要がありそうだ。

「皇嗣は皇太子よりも下」は誤解である。

秋篠宮殿下の称号は、皇嗣である。英語だとクラウン・プリンスが似た表現で、より広く推定相続人(expectant heir)という言葉もある。エリザベス女王は即位までこの肩書きだった。

また、皇嗣が英国の「プリンス・オブ・ウェールズ」、オランダの「オラニエ公」、スペインの「アストゥリアス公」といった歴史的事情を踏まえた特別の称号を名乗ることもある。

外国の皇嗣は、さまざまな称号があっても大体「皇太子」と訳されるが、ベルギーのボードワン国王時代にのちのアルベール二世が皇嗣だったときは、日本のマスコミは「皇太弟」と呼んでいた。しかし、サウジアラビアなどについては、弟でも皇太子と呼んでいたから、ルールはいい加減だ。

今上陛下のご即位のときに、皇位継承順位第1位の秋篠宮殿下をどう呼ぶか、議論になったが、秋篠宮皇嗣殿下と呼ぶことになり、立太子礼に代わる立皇嗣礼が行われた。

皇太子と皇嗣の実務的な違いは、家計が上皇陛下ご夫妻、両陛下、愛子さまが使われる内廷費でなく、皇族費として独立して支払いを受ける点のようだ。

もうひとつは、呼び名が皇太子の子なら秋篠宮殿下が礼宮文彦さま、黒田清子さんが紀宮清子さまと呼ばれたように独自の宮号を悠仁さまや佳子さまに名乗っていただく必要が出てくる。

いずれにせよ、秋篠宮殿下と同じ立場の外国の皇嗣をマスコミは皇太子と呼んでいる。また、「弟である皇嗣殿下だから子である皇太子殿下より下」と受け取っている人がいるが誤解である。むしろ、年齢も含めて皇太子より重い立場であると思う。英国王戴冠式での高い序列も、そうした配慮が英国側にあった可能性がある。

むしろ「天皇の代理」という性格が強い。

陛下の弟としての皇嗣殿下の役割は、やはり、陛下の子どもである皇太子とは微妙に違う。一般に皇太子は、とくにその在任期間の前半は未熟な存在だし、独身であることが普通だ。

ところが、弟である皇嗣は、君主と同年配で結婚して子供もいることが多い。であれば、皇太子がいわば天皇見習いであるのに対して、君主の代行者ないし代理としての性格が強い。

ただ、弟である場合、本当に即位するのかという問題もある。父子の場合よりは、兄弟の弟のほうが兄より先に亡くなってしまう可能性だってそこそこある。

また、陛下が上皇陛下のご退位と同じ85歳で退位されたら、80歳の皇嗣殿下が即位することになり、そしてまた同じ年齢でご退位されたらわずか数年だけ天皇でおられることになる。そういう状況は社会的に歓迎されないだろう。

皇室と縁の深いベルギー王室の事例。

この継承問題を考えるには、外国の類似の例が参考になりそうだ。イスラム教国は別にしてヨーロッパ諸国を見ると、長期間、同年配の兄が君主で、弟が継承順位第1位だったのは、ベルギーだけである。その経緯を『英国王室と日本人 華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館、八幡和郎・篠塚隆)から紹介しよう。

第2次世界大戦でナチス・ドイツに占領されたとき、政府は亡命したが、レオポルド3世はナチスに降伏して協力する形になり、戦後、息子のボードワンに譲位した。

ボードワンは名君で、言語対立と小党分裂で首相指名が難航するベルギーにあって、実質的な政治的調整に活躍した。留学中の今上陛下の面倒を親身になってみてくれたのも、ボードワン国王夫妻であった。

ボードワン国王の葬儀には、両陛下(現上皇ご夫妻)が葬儀に出席された。国内では国葬であっても葬儀には出席しないのに海外は例外という先例となり、エリザベス女王葬儀への両陛下出席はこれを踏襲した。

国王の弟として昭和天皇の訪欧の根回しに活躍。

このボードワン国王には子供がなかったので、弟のアルベール殿下が皇太弟となった。プレイボーイで、イタリア美人の妃殿下ともどもスキャンダルが多かったが、政治力は格別に優れていた。

1964年の東京五輪や1970年の大阪万博で来日し、昭和天皇の訪欧が戦争の経緯から難航していると聞き、欧州王室に根回しをしてくれた、日本の皇室にとっては大恩人である。

兄王との年齢差は4歳だったので、アルベール殿下の息子のフィリップ王子への直接継承も選択肢と言われ、ボードワンが外遊に同行させるなど帝王教育を行った。

だが、ボードワンが1993年に急死すると、フィリップ王子では年齢的にも若く、未婚だったために、アルベール殿下が即位した。その20年後、79歳になったアルベール殿下は、高齢と健康状態を理由にフィリップ王子に譲位した。老獪な父王の死後に国王となるのは、政治情勢によっては不安もあり、政治的タイミングを見計らって短い予告期間で即位させ、後見しようという意図だった。

アルベール殿下は、国王の弟という自由な立場を利用して名外交官ぶりを発揮したわけで、こういうのは、若い皇太子ではできない芸当だ。

皇嗣経由か、直接継承かはまだ決めなくていい。

秋篠宮殿下も、皇嗣というジョーカー的立場を利用して、皇室の将来のあり方について、旧皇族、旧華族など伝統的に皇室との関わりが深かった方々をはじめとする各方面の方と意見交換の場を持たれ、さらには、海外の王室の方々とも自由な交流をされて、陛下などにお伝えされたらいいと思う。秩父宮殿下をはじめ昭和天皇の弟宮たちも、陛下に意見をいっておられたのだから不都合などない。

皇位継承については、陛下から皇嗣殿下を経由して悠仁親王にバトンタッチされるか、皇嗣殿下が辞退されて伯父から甥への直接継承とするかは、ベルギーのように、しばらく両にらみでいいと思う。

陛下や秋篠宮皇嗣殿下の健康状態、悠仁さまの結婚やお子さまの状況によっても、どういう形がいいかは違ってくる。ただ、一般的には、数年だけのご在位はあまり好ましくなく、悠仁さまに直接バトンタッチするか、秋篠宮皇嗣殿下にも10年くらいはお願いするように調整するかのどちらかが良いのかもしれない。

悠仁さまの帝王教育の質の高さと課題。

悠仁親王の位置づけは、皇位継承順位第2位といっても、英国のジョージ王子と違って、即位までの時間は短い。上皇陛下が退位されたのと同じ85歳に今上陛下が達されるのは2045年、秋篠宮殿下は2051年だから、皇太子を経ずして即位される可能性があり、秋篠宮皇嗣殿下のもとで皇太子になられる場合でも数年とか10年程度の短期間になる。そのため、皇孫殿下でなく皇太子殿下に準じた帝王教育を必要としている。

幸い、秋篠宮殿下ご夫妻による帝王教育は、質が非常に高い。幼稚園からお茶の水女子大附属、高校は筑波大学附属高校という選択を批判する人もいるが、過去の記事で解説したように、学習院は天皇陛下と秋篠宮殿下のころと比べて、特別な教育機関としての性格を保持しているとはいえない。眞子さん、佳子さま、愛子さまに良好な教育環境を提供しているとも言いがたいのだから、これを避けたとしてもとやかく批判されるような話でない。

一方、筑波大学附属は、美智子上皇后陛下の父や弟の母校であり、平成皇室の伝統の重要な部分を引き継ぐのに好適だし、男女共学であることも好ましい。学業もこれまでのところ、順調であるようだ。

お茶の水女子大付属では成績優良だったし、筑波大附属に編入されて少々苦労されているかもしれないが、これまでよりレベルの高い学校なので当然だろう。東京大学を狙われるといった噂もあって、私はあまり賛成でないが、突拍子ないことではない。上皇陛下だってマッカーサー元帥に東京大学進学の可能性を語られたことがあるのだ(上記拙著で紹介)。

また、幼少期から、皇室ゆかりの場所や沖縄に代表される現代史の現場、さらにはブータンのような海外の君主国を広く訪れられ、必要な経験を積まれていっておられる。

眞子さんへのけじめは称賛されるべき。

さらに、悠仁さまにとっては、できるだけ多くの時間を両陛下や上皇陛下ご夫妻と過ごし、公務にも同行されることが好ましい。帝王としてふさわしい、独特の雰囲気を醸し出すような言葉遣いとか、所作をするような教育を秋篠宮殿下は受けておられないわけで、陛下からしか学べない帝王教育がある。

ときとして、秋篠宮殿下では「天皇らしくない」という違和感を持つ人がいる原因はそのあたりにあるのだが、長男と次男の育て方が違うのは普通のことだ。それに限らず秋篠宮ご一家に対する批判は的を射ていないものが多い。

キコさまについて雅子皇后に比べて好感度が低いという人もいるが、それは、皇后陛下に対する敬意の裏返しである。雅子さまも皇太子時代は美智子皇后と比べられ誹謗(ひぼう)されていた。それに加え、キコさまの良妻賢母路線に対して、キャリアウーマン志向の人から反発もあるのだと思うが、そのあたりは、別の機会に改めて論じたい。

「皇嗣殿下にしかできない役割」に期待したい。

眞子さんの結婚について、秋篠宮殿下ご夫妻を批判する人が相変わらず多いが、私は、けじめをきちんとつけられたことを評価すべきだと思う。

私も、あの結婚は元内親王としての品位を保ちうるか疑問が多く、好ましくないと批判したが、最後は本人がどうしても結婚したいというのを阻むのは憲法上も好ましくないし、法的にも手段がない。

しかも、1億数千万円の一時金や各種の行事も辞退され、皇室とも距離を取られるというのは、見事なけじめの付け方であろう。眞子さんは高校生の時から単独公務を始められて、非常に熱心に高い質で取り組まれており、皇族として十分に務めは果たされた。

佳子さまも、20歳の時から単独公務を開始され、とくに、新型コロナ禍が収束してからの活躍ぶりは、目を見張るものがある。これから皇室外交でも大きな力を発揮すると思う。

過去の記事でも、秋篠宮ご一家のお住まいや生活ぶりが贅沢だという批判が不当だということを取り上げた。

今回解説したように、秋篠宮殿下は皇嗣という、従来の皇太子とは少し異なる特殊な立場におられる。その立場を生かして、天皇の代理として皇室外交でご活躍いただくとともに、宮内庁や政府も協力して、皇室内外と陛下の橋渡し役や助言者としての前向きな立ち位置を形成されることを期待したい。

本日も最後まで動画を見ていただきありがとうございました。また皆さんに感じたこと意見などをコメントしていっていただけたら嬉しいです。もしよろしければ評価などもお願いします。では次回の動画でまたお会いしましょう。ありがとうございました。

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