雅子さまを支えた、ある女性皇族との“心の絆” 反紀子派の筆頭にして、愛子天皇への架け橋

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「10年あまり前の結婚以来、慣れない環境の中での大きなプレッシャーのもとで、これまで、私なりに一生懸命努力してきたつもりでございましたが、その間の心身の疲労が蓄積されていたことの結果であったのではないかと感じています」。

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19年前の12月12日。
12月12日は皇室にとって忘れられない日です。

きっと覚えている人は少ないかもしれませんが、19年前の2003年に宮内庁が雅子さまの長期療養を公表した日が12月12日だったのです。

「10年あまり前の結婚以来、慣れない環境の中での大きなプレッシャーのもとで、これまで、私なりに一生懸命努力してきたつもりでございましたが、その間の心身の疲労が蓄積されていたことの結果であったのではないかと感じています」。

これは、雅子さまが長期療養に入られるに際して東宮職を通じて出した文書です。これから令和まで雅子さまが16年間も長くの療養にいたると、この時、誰が想像できたでしょうか。

16年目の2019年、即位パレードで見せてくださった雅子さまの慈愛に満ちた“笑顔”に接して、筆者のよく知る皇室ファンは「この笑顔、この笑顔をずっと待っていたんだ!」と涙が出る思いがしたとのことです。

2008年の雅子さま。
さて、今回は雅子さまの長期療養が発表されてから5年後の2008年に時計の針を戻して、当時なされたある報道にスポットを当てたいと思います。

雅子さまが療養に入られて5年目、愛子さま7歳のこの年は雅子さまの病名が「適応障害」ではなく、むしろ、「ディスミチア症候群」という新型のうつ病ではないかとささやかれていたころでした。

ディスミチア症候群とはどのようなものか。

「一般に、ディスミチア症候群の特徴は、義務を負わされると普段できることの能率が上がらなかったり、やる気が起こらないという抑うつ状態が現れる。しかし、自分自身が意欲のある娯楽的な活動になると、普段通りにできるわけです。この症状は今、30代以下の若年層に増えています」。

この病気が難しいのは、抗うつ剤がなかなか効かない点だという。

義務が負わされると普段できることができなくなってしまう――。これは責任感が強く人一倍の努力家である雅子さまにしっかりとあてはまる症状です。

そして、その年の10月10日、『週刊ポスト』にある記事が掲載されました。それによれば、雅子さまはある女性皇族との関係を心の支えとして日々を過ごされていたというのです。

雅子さまが心の絆とされた女性皇族とは、三笠宮家の寛仁親王妃・信子さまでした。

信子さまと雅子さまの交流。
『週刊ポスト』にはこうあります。

雅子妃が長期療養に入ってから心のよりどころとしている方がいる。それは、あの「ヒゲの殿下」、三笠宮寛仁親王殿下の妻であり、麻生太郎新首相の15歳年下の実妹である信子さまだという。

「外相経験のある麻生首相を兄に持つ信子さまと、外交一家の雅子さまには通じ合う部分があり、また、民間から皇室入りした先輩であり、雅子さまは信子さまを慕い、信子さまも折に触れて様々な形でアドバイスをされてきました」。

いわば「妃殿下」の先輩として雅子さまを支えた信子さまでしたが、実は信子さまも当時(2008年)は雅子さまと同様に健康上の問題を抱えていらっしゃったのです。信子さまは2004年に胃潰瘍と診断され、心療内科にかかり、その後、更年期障害となって2年間も軽井沢の麻生家(信子さまご実家)別荘にて静養を続けられました。

2006年には軽井沢から出て、宮邸での療養生活に切り替えましたが、公務への出席はナシ。寛仁親王との夫婦仲や二人の娘(彬子女王、瑤子女王)との関係もかんばしくなく、事実上の家庭内別居状態にあったと言われています。そしてその後は寛仁親王の没後まで宮邸を出られて宮内庁職員用住居に移り、完全別居としてご家族とは絶縁状態となるにいたったことはご存知の方も多いでしょう。

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