悠仁さまの屈辱 ! 学業成績に誰もがびっくした。

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今月2月16日、宮内庁は、秋篠宮家の長男・悠仁さまの筑波大学附属高校合格を発表しました。悠仁さまは4月から、筑波大学附属高校に通われる予定であるとのことです。

悠仁さまの屈辱 ! 学業成績に誰もがびっくした。

悠仁さまの屈辱 ! 学業成績に誰もがびっくした。

いつも思うのだが、この外国人も「伝統ある皇室を持つことは日本の国益でもある」などと言っていますが、天皇に何か政治的な役割を求めるのは如何なものでしょうか?
憲法で国政に関する権能を有しないとされている事は、中学生ですら学校で習っているかと思います。だから、天皇に国益に利するお役割を期待してはならないのです。
コレが日本をよく知らない外国人ならまだしも、日本人のネトウヨあたりが盛んに言っているあたり、なんとも苦々しく思います。

それにしても、国政に関する権能を有さなくても、お役割を期待してはいけないにしても、それでも国を代表する存在である天皇陛下になろうという者がこの有様では、やはり、国益を害すると言いたくもなります。この外国人とは逆に。

明後日は天皇誕生日、陛下のお言葉が出るかと思いますが、そろそろ、秋篠宮一家の問題に何かしらのお話が無いとなると、国民感情に寄り添われておられるのか、疑問を感じる国民も出てきましょう。陛下のせいではないし、陛下が責任を負うのはナンセンスにしても、陛下自身がいま一度、皇室というものは如何なるものか、という事でそのお考えを示す、そういう意味では今、秋篠宮一家の問題についてお言葉をいただきたく思います。

悠仁さまの筑附合格発表に批判殺到
今月2月16日、宮内庁は、秋篠宮家の長男・悠仁さまの筑波大学附属高校合格を発表しました。悠仁さまは4月から、筑波大学附属高校に通われる予定であるとのことです。

将来天皇となる悠仁さまの難関校合格に対して、多くの国民から祝福の声が上がるかと思いきや、そうでもないようですね。Twitter等のSNSでは、現在でも悠仁さまの筑附進学に疑問や批判の声が上がっているようです。

悠仁様 やはり筑附進学ですか。このためにつくった提携校進学制度ですもんね。この制度利用は無試験入学でしたよね、確か。とっくに進学は決まってたのに一般入試の合格発表を待っての発表がセコい。悠仁さまの筑附は筆記試験が免除されて、本来の入試を経ない入学と雑誌にはっきり書かれてる

既に合格通知を手にしているとか
国民の批判をかわそうと、一般入試で受けたふりをしたのなら、さらなる批判を受けることがわからないのか?悠仁様、とうとう筑附の合格報道が出ましたね…。

提携校制度を使うのにふさわしいほどの優秀な成績、と大本営発表させてましたが、その直前に複数の雑誌が悠仁様の佳作作文の参考文献問題をスクープ。「悠仁様ご優秀アピ」の筆頭だったあの作文にもケチが付きもはや何を言ったらよいのか分からない…

悠仁さまを筑附に入学させるために作ったとしか思えない、「提携校進学制度」にしてもそうですが、さらに、悠仁さまが優秀であるかのように見せかける秋篠宮家の卑劣な情報工作や、合格発表と同日に報道された作文コンクールの盗作問題も国民の怒りを一層煽り立てる結果となりました。

またネット上では、大変な数の批判的な意見が上がっている一方で、テレビや新聞等のマスメディアでは、悠仁さまの筑附合格を祝福する報道が多く、「悠仁さまは、お茶の水女子中学でも成績はトップクラスで、提携校進学制度であっても、合格は順当」といった調子で報じられています。

悠仁さまを擁護する秋篠宮家忖度評論家
さらに、著名なコメンテーターや評論家の中にも、悠仁さまの筑附合格を正当化する秋篠宮家忖度としか思えないコメントをする方が多いようです。

元モルガン銀行日本代表で、投資家ジョージソロス氏アドバイザーを務めた経験もある藤巻健史氏は、Twitterで、悠仁さまの筑附合格を正当化する次のような意見を述べています。悠仁さまの筑波大附属高の入学に関して「公平でない。特別扱いするな」と文句をいう輩がいる。しかし歴史的に見ても法律的にも天皇は特別な存在だ。某大使に「日本に来て一番印象的だったのは何ですか?」と聞いた時、「天皇に就任のご挨拶をした時だ、膝がガクガクした」とおっしゃっていた。

時の首相に会ってもひざはガクガクなどしないだろう。歴史・文化・伝統への尊敬の念を強く持つ西欧人らしい。特に歴史や伝統を持たない歴史の浅い米国人には、その傾向が強い。その観点からしても伝統ある皇室を持つことは日本の国益でもある。天皇は苗字もないし、選挙権もない。13歳の時に書いた作文の引用問題が週刊誌に実名入りで報道される。他の13歳なら殺人を犯しても報道に実名など出ないのに、だ。それだけ特別扱いしておいて入試だけは平等にしろ?何それ?

まさに、「皇族は偉い人たちなのだから、下々の庶民が批判するな」と言わんばかりの暴論ですが、こうしたツイートに対しても批判的なリプライが大量に送られているようです。選挙権がないことと、作文コンクールで、他者の文章を剽窃した問題が批判されていることには何の関係もないはずなのですが、全く支離滅裂なかたちで擁護がなされています。ちなみに、悠仁さま以外でも13歳であれば選挙権はありません。

とはいえ、こうしたツイートから、秋篠宮家を擁護する人々の「皇族は偉いのだから、いくらでも特権を使って良いのだ」という本音が透けて見えるという点は面白いですね。「皇族なのだから何でも許される」というかたちで擁護することで、逆説的に、「秋篠宮家は、好きなように特権を濫用している」と暴露しているようにも思えます。

お茶の水女子中学校の同級生が悠仁さまの成績を暴露!
ところで、果たして、悠仁さまは、マスコミが報じているように、お茶の水女子中学校でトップクラスの成績をキープしていたのでしょうか?当チャンネルでは、悠仁さまの同級生のお茶の水女子中学校の生徒の一人からお話を伺うことができました。

「悠仁君が“提携校進学制度”を利用して筑附に進学するということは、学校内でも噂になっていましたから、TVで合格報道がなされてもそれほど驚くことはありませんでした。ですが、報道内容で驚いたのは、悠仁君が“学校内でトップクラスの成績をキープしていた”という情報です。お茶の水女子中学校では、成績が貼りだされるようなことはありませんから、どのくらいの成績だったか、正確には分かりませんが、悠仁君が成績優秀なんて話は聞いたことがありません。

それどころか、テスト後に、しょっちゅう補講を受けていましたから、せいぜい中の下程度の成績だと思いますよ。何人も家庭教師を雇って、勉強しているのに、成績は良くなかったみたいなので、あまり要領の良くないタイプだったのだと思います。そもそも、お茶の水女子小学校の男子で、成績の良かった生徒は、皆外部の中学校を受験するので、成績優秀な男子生徒はほとんど残っておらず、常に、成績上位は女子生徒が独占していました。

悠仁君は、将来天皇になるので、特別扱いされるのは当然なのかもしれないですけど、さすがに、お茶の水女子中学校でトップクラスの成績をキープしていたというのは、ウソにも程があるなと思って、驚くと同時に怒りも湧いてきました」(お茶の水女子中学校の生徒)

このように、実際には、成績が良くもないのに、「悠仁さまは成績優秀!!」「常に学年トップクラス!!」とウソばかりついていることも、悠仁さまが学校で友達ができなかった原因の一つであるかもしれないですね。皆さんは、悠仁さまが成績優秀であるとするマスコミの虚偽報道についてどう思いますか?また、それほど成績優秀でもない悠仁さまは、筑附進学後、大変苦労をされるのではないかと思いませんか?是非、コメント欄に感想や意見をお願いします。

この記事皆さんはどう思われましたか。ではこのニュースを見た人々の反応を見ていきましょう。

国内はもとより、海外でまで悪しき話題を提供しているA宮家の長女M子さんご夫婦。
あの時になぜ、毅然として結婚に反対の姿勢を示さなかったのか、皇族のトップとして、また一家一族の長として言うべきだったと今でも思っております。故にその言うべきことも言えない不甲斐なさを「腑抜け」だと言って言っているのです。

都市伝説では、天皇制は今上陛下で終焉を迎えるとも噂されてますが、現状を見るに、その可能性も大きくなりつつありましょう。

皇族の皇族たる所以は、「 神道の祭祀者、或いはそれに準ずる者 」であるべきでしょう。
では現代にあって皇族の方々は、皇族として依って立つ処の「神道の祭祀者」であると胸を張って言える生活を、自らに課して精進されているでしょうか。
また国民から敬愛されるべく、「皇族としての人格的資質」を高めんと、日々研鑽しておいででしょうか。
そのような事に専念して戴くために、国民の三大義務に煩わされない特別な存在として、多額税金を使って国が生活の全てを保障しているのではないでしょうか?

そう考えると憲法1条や皇室に関する法律そのものが時代に合わなくなって来ていると思えてなりません。
願わくば憲法の定める「象徴」とは、人間のような未熟で不安定で曖昧なものではなく、崇高で気高く普遍的なものであって欲しいと素直に思います。

天皇という「地位」そのものは崇高かもしれません。しかしその地位にある人間は、常に喜怒哀楽に心を奪われ未熟で不安定な存在です。
地位とその地位にある個人は別であるという事を正しく認識出来ない人も大勢おります。

今のような憲法下では、何れ天皇制度や皇族の継続には、内側からも外側からも行き詰まりが生じると思えてなりません。
人としての個性や嗜好の多様性、個人の自由や尊重という観点からも憲法と現実との整合性が見いだせずに実質的に破綻しましょう。
現にそれは起き、自由を主張しNYに旅立たれた人を皆様もご存知でしょう。

皇族の方々を「同じ一人の人間として見た時」、平等や自主性や個性など、人としての有り様や権利がより以上に重視されるのは時代の潮流であり、今後その傾向は更に加速されましょう。(個人情報保護やジェンダーなど社会が激変している事は既にお感じでしょう)

その家系に生まれたという理由だけで拘束力を行使する法律そのものが否定され、日本国憲法は誤りであると判断される時が訪れるでしょう。
皇族であるか一般国民であるかを自由に選択、或いは一般国民でありながらも、重複して皇族籍を持つという時代になるのかもしれません。
そうなった時、天皇や皇族は象徴や敬愛される「権威」ではなく、歴史的に貴重な「重要文化財」や「人間国宝」のような存在になるのかも・・と想像してます。

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