秋篠宮家で 超異例事態 ! 紀子号泣半狂乱
皆さんおはようございます。今日、ご紹介するのは 「欧州の女性君主に続いて、愛子さまが天皇になる日が来るのか?性別にとらわれないリベラルな考えを日本の政治家は持てるのか.…」 「眞子さん結婚でゴタゴタに巻き込まれた悠仁さまが心身共に不調を訴えていた!?家族を切り捨てて固執した結婚は正しいのか?」 「悠仁さまが筑波大附属高校に合格!提携校進学制度の合格は既定路線!?」 それでは、参りましょう。さて、かねてより大きな問題となっていた悠仁さまの進学先ですが噂されていた通り筑波大附属高校に決定したようです。ここに来るまで、秋篠宮家の問題にも振り回されてきたように見える悠仁さまですがそんな時期をどうやって乗り越えてきたのでしょうか? また、皇位継承第一位は悠仁さまですが国民からは将来の天皇にと望む声の高いのは愛子さまです。 国内では”女性”というだけで否定している政治家も多くいるようですが欧州では女性君主のエリザベス女王が長くイギリスを治めています。日本との違いは一体どこにあるのでしょうか? 今回はこれらの記事をご紹介していきます。ここからは引用を含みます。史上最長にして最強のイギリス君主であるエリザベス女王は2月6日に即位70年を迎えました。25歳で即位した女王はイギリス史上最も長く君主の地位に就いていることになります。 実はエリザベス女王は生まれながらに君主になることが決まっていた訳ではなかったそうです。伯父のエドワード8世が、離婚経験を有するアメリカ人女性のウォリス・シンプソンと結婚するために王位を放棄したためエリザベスの父・ジョージ6世が国王に即位しました。その為、エリザベス女王は10歳で王位継承権者第1位となり女王となる運命となったのです。日本の皇族の方々は以前よりイギリス王室と交流を持ってきました。 雅子さまも外務省職員時代に留学されていましたから愛子さまはご両親からイギリスという国そして英国王室についても詳しくお聞きになっているようです。“運命のいたずら”ともいえる経緯で即位したエリザベス女王は皇位継承問題で将来を左右される愛子さまの境遇と重なるところがあります。両陛下は愛子さまに、国民に尽くす姿勢をエリザベス女王から学んで欲しいと思われているのではないでしょうか。たとえスタートが思わぬ形だったとはいえここまで長年国民に信頼され長い時代、 王室を支え続けるのは並大抵の努力ではできないでしょう。70年という長い間には王室スキャンダルや戦争、他にも様々な困難がありました。それでも国民からの信頼が続いてきたのは“国民ファースト”を忘れなかったからです。愛子さまは高校2年生の夏にもイギリスに短期留学されていますが将来的には陛下と同じく、イギリスの大学院への留学もお考えかもしれません。そうなれば、エリザベス女王をはじめとする英国王室のメンバーとも親交を深めることになるでしょう。 日本では、皇位継承問題に関する議論が国会で進められることになっています。現在のところ天皇に即位できるのは“男系の男子”に限られていますが、今の時代にいつまでも男系男子”にこだわっているのはナンセンスではないでしょうか?イギリスのエリザベス女王やデンマークのマルグレーテ女王に続き、今後は愛子さまの同世代の王女方が次々に即位されていく『女王の時代』を迎えようとしています。性別関係なく、能力と覚悟を持った方であれば誰がトップに立っても問題はないと思います。 すでに世界では男女という性別にかかわらず国王や王族が国民のために何をするのかそれこそが王室にとって一番大事なことになっているのです。日本の頭の固い政治家や専門家は時代の流れと人間性をよく見極めて本当に日本の将来必要なのは誰なのか改めてきちんと議論してもらいたいと思います。ここまでが1つ目の記事となります。いつまで男系男子にこだわるのでしょうか? 男系派は「伝統」であるからと主張していますが伝統はこれまでも時代に合わせて変えられてきました。もう女性・女系天皇をみとめてもいいのではないでしょうか? 世論調査でも多くの国民は賛成しています。一体誰が反対するのでしょう。性別ではなく長子かどうかにこだわるべきだと思います。男性のみ継承権があるのは現代の考えにはそぐわないですよね。男系男子は古くからの習わしであり女系天皇だと血筋が途絶えるなど色々な問題があることは理解しますが、 もし女系であっても天皇陛下のお子さまに変わりはありません。議論を先延ばしする必要はないと思います。皇位継承の話題の中心にいる悠仁さまですが眞子さんの結婚問題で騒がしい時期は悠仁さま自身の体調にも変化があったようです。眞子さん自身が精神面での不調を訴えられていた時家族に対して「夕食時など家族で団欒をしている際に自由に話ができないことが苦しい」と近しい人に話していたようです。 秋篠宮さまは家長としてのお立場上眞子さまに話しかけづらい。一方、紀子さまは結婚には絶対反対なので眞子さまのほうが会話をしたくないわけです。妹の佳子さまは、お姉さまの味方なので眞子さまに同調して両親と話そうとはしなかったそうです。そんなギスギスした状態を目の当たりにすれば誰でも不安な気持ちを持ってしまいますよね。まして、当時悠仁さまは小学生だったのです。その不安な気持ちは体調にも現れてしまいある日の夕食時、 紀子さまは悠仁さまが料理を食べ残しているのに気づき「今は成長する時期なのだから出された食事はちゃんと全部食べなきゃ駄目よ」と叱ったそうです。悠仁さまは気が進まない様子でしたが残さず食べ切りました。ですが、母親が席を外していなくなると食べたものを吐いてしまったそうです。そばで一部始終を見ていた眞子さんは衝撃を受け介抱しなら、「どうしたの?大丈夫?」と声をかけましたが悠仁さまは「ちょっと調子が悪いだけだよ」と答えたそうです。 眞子さんはこの時自分のことがきっかけで起きた家族の不和が幼い男の心を働んでいる、と思ったようです。そんな状態を置の当たりにしても眞子さんは結婚を諦めることはしなかったのですが…。家族に反対されても周囲の人間が不快に感じたとしても。結婚を貫き通したのはある意味凄いですけどね・・・。眞子さんは小室圭さんの留学や金銭トラブルについて自分が積極的に主導していたと結婚会見の時に話していました。 そこまでしても結婚したいという気持ちは固い物だったのでしょう。結局、両親とも対立し大切な弟の心にも傷をつける結果になってしまった結婚ですが秋篠宮家に吹き荒れているバッシングを乗り越えて悠仁さまは次の時代の天皇になるべく新しい環境へ一歩踏み出すことになりました。筑波大附属高校に合格し春から通うことになったのです。ここまでが2つ目の記事になります。