皇室記者がその様子に抱いた「違和感」!?
上皇ご夫妻は5月14日から、京都市と奈良県を相次いで訪問された。日程は4泊5日。90歳近い高齢のお二人としては「大旅行」とも言える長旅だ。 みなさん、こんにちは。 チャンネルをご覧いただきありがとうございます。この動画に対して、いいねボタンでの評価を頂けると嬉しいです。今回取り上げるニュースはこちらです。 そもそも上皇さまは退位の際、今後一切の公務から身を引く、と公言していたはず。「新型コロナウイルス禍以来、4年ぶりの地方訪問」とされた今回のお出ましは、「隠居」した身としてふさわしい行動だったのかどうか。代替わり当初に懸念された天皇と上皇の「二重権威」という言葉も頭をよぎり、若干の違和感が拭えなかった。 衰えぬご夫妻の「人気」 コロナ禍の間は、皇室全体で公共交通機関の利用が控えられていたが、新型コロナが感染症の「5類」に移行した直後の今回のお出ましでは、新幹線が使われた。 京都駅に到着したのは、5月14日の午後1時過ぎ。この日は日曜日で、もともと観光客が多く、ご夫妻が駅を車で出発する際には、外国人も含めて多くの群衆がその様子を見守った。数にして1000人近かったのではないか。居合わせた外国人観光客の中には、日本語がよく分からず、偶然出くわしたこの夫妻を「ジャパニーズ・エンペラーとエンプレス」だと勘違いした人もいるかもしれない。 ご負担を考慮して一日あたりの行動はかなり控えられた。初日は京都到着後、幕末までの皇室の菩提寺で、皇族が京都入りした際に必ずと言っていいほど訪れる「泉涌寺」を訪問しただけだった。参道にも多くの人が待ち受け、その印象は「現役時代と何ら変わらない人気ぶり」といったところだった。 翌日は「京都三大祭り」の一つ「葵祭」の観覧が予定されていたが、天候が不安定なため、早朝の時点で翌日への順延が決定された。午後は京都市内の大聖寺を訪ねた。古くから内親王が住持(寺の長)を務めた「尼門跡寺院」で、明治天皇の后である昭憲皇太后が儀式で着用した「大礼服」を見学した。傷んだ大礼服の修復が今年完了し、ご夫妻が関心を寄せていたという。 16日には葵祭を京都御所建礼門の前で観覧。平安装束の行列に、わざわざ何度も立ち上がって会釈をする姿が印象的だった。設置された席の正面には大勢のカメラマンと記者たちのためのスペースが設けられていた。宮内庁側の配慮だろう。 奈良に移動後の17日は、斑鳩町の「中宮寺」に足を運び、ご夫妻の支援も受けて修繕された本堂などを見学した。天理市の「なら歴史芸術文化村」でも、文化財修復作業について視察。その様子は新聞やテレビで盛んに報じられた。 帰京したのは翌18日だったが、訪問日程としては「歴史芸術文化村」で終了。葵祭も約1500年前から途絶や再興を繰り返した祭りであり、今回の訪問全体が「古い伝統を大切に継承してくれたことへの感謝の旅」だったように感じ、好感をもった。 上皇の外出が「行幸」でいいのか だが、私の抱いた違和感は、別のところにある。 まず、宮内庁は今回の「お出まし」を「京都府・奈良県行幸啓」と表現した。「行幸啓」とはあまり耳慣れない言葉かもしれないが、要は「天皇と皇后の外出」のことである。皇居から「皇居の最寄り駅」である東京駅の正面へと続く通りの名前が「行幸通り」であることを知る人も少なくないだろう。 皇族の「お出まし」については用語が分かれている。宮内庁のホームページに「お出ましに関する用語」という欄があり、京都出発前に調べてみた。 「行幸(ぎょうこう) 天皇が外出されること」「行幸啓(ぎょうこうけい) 天皇・皇后がご一緒に外出されること」と書かれていた。「上皇の外出」については記述がなく、当然「上皇の外出を天皇と同じく行幸と呼ぶ」といった類の説明もない。 参考までに記しておくと、ホームページはさらに「行啓(ぎょうけい) 皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が外出されること」「お成り(おなり) 天皇・皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃以外の皇族が外出されること」と続いている。 この基準に当てはめると、上皇ご夫妻の外出は「行幸啓」どころか「お成り」とするのがふさわしい、ということにもなりかねない。ただし、少しややこしいが、退位の際の法整備で、上皇は天皇と同じく「皇族」ではない特別な身分とされているので、「お成り」の基準には入りそうにない。一方で上皇后は「皇族」なので、こちらはばっちり「お成り」になってしまう。 しかし「退位特例法」には「上皇后に関しては、(中略)皇太后の例による」との記述があり、こちらの規定に従うなら「上皇后の外出は皇太后と同じく『行啓』になる」との見方もできる。...