宮内庁長官による「衝撃的なひと言」。
みなさん、こんにちは。 チャンネルをご覧いただきありがとうございます。この動画に対して、いいねボタンでの評価を頂けると嬉しいです。今回取り上げるニュースはこちらです。 「もう30年もたったのですね。あっという間でした」。 皇后雅子さまは、5月30日の夜、天皇陛下と長女・愛子さまとご一緒に、即位5年と結婚30周年を記念する特別展『新しい時代とともに―天皇皇后両陛下の歩み』(東京・日本橋高島屋)を鑑賞された後、このような言葉で結婚生活を振り返られた。 宮内庁長官による「衝撃的なひと言」。 この日の雅子さまは、婚約会見のときと同じく真珠のネックレスを着けられていた。デザインこそ異なるが、真珠は雅子さまが特にお好きな宝飾品のひとつ。今年6月9日にお迎えになるご結婚30周年の記念日も「真珠婚」。 雅子さまが皇室入りなさったのは1993年のこと。雨上がりのご成婚パレードでは、国民の祝福に時折、涙をにじませていた。「皇室」という存在の素晴らしさと、日本国民の「象徴」の眷属に身を置くことの重みを感じられたに違いない。 だが「皇室」という現実は、想像していたよりも厳しかった─。 皇室にとって、皇位継承問題は喫緊のことだった。皇太子(当時)ご夫妻に期待が寄せられたが、結婚生活が2年を経過してもコウノトリが舞い降りることはなかった。宮内庁は、海外公務を制約することがご懐妊につながると考えるようになり、雅子さまは世継ぎ問題で悩まれるようになったといわれている。 その後、不妊治療をなさり、稽留流産という悲しみを乗り越えられ、待望の愛子さまをご出産された。 だが内親王という女の子の誕生では、皇統維持は解決しない。ご夫妻もその重要性などから、愛子さまのごきょうだいとなる2人目を考えられていたというが、公務は制約から一転し、宿泊を伴うものが増えていった。雅子さまは当時、会見で、 「今の時点で、公務ももちろん大切に考えていますが、子どもにとって、人生の最初の何年間はとても大切な時期とも聞きますので、愛子の成長を見守り、助けていく育児も親として大切にしていきたい」 と述べられていた。 そうした矢先、宮内庁長官が会見で「秋篠宮さまに第3子をお願いしたい」と発言。それを聞いた雅子さまは深く傷つかれたという。雅子さまはこのころには、はっきりとご体調に変化を感じられるようになっていたようだ。 2003年、帯状疱疹のため入退院をされて、静養に入られた。この時点で、心の病があることも明らかだったが、精神科医の主治医も病名もつかないままだった。 宮内庁病院には精神科医がいないことから、宮内庁幹部は“(担当医を)探している”とは言っていたが、ご出産後からお身体の不調を訴えていたにもかかわらず、時間だけが経過していた。 被災者からの言葉が「癒し」に。 雅子さまは宮内庁のすすめもあり、ご実家の小和田家の軽井沢の別荘で静養したが、治療が行われていない以上、限界があったという。打開策として、皇太子さまが動かれた。2004年、単独の外国訪問前の会見の中で、雅子さまの置かれてきた状況とお気持ちを訴えられ、皇室内には激震が走った。 皇太子さまの「人格否定発言」とまで言われたが、その後、担当医が着任し、治療を開始。2か月後、病名は『適応障害』と発表された。雅子さまのご病気は、皇室の中でご病気になって、皇室の中で治していかなくてはならないという難しさがあった。 さらにご体調が整わずにスケジュールを変更したり、予定時間がずれたりすることもあったため、厳しい報道にも晒され続けたが、ご病気を治すことだけに向き合われてきた。心のご病気には、家族の支えが必要だという。皇太子さまと愛子さまの存在は、とても大きいものだといわれた。...